1990年の入管法改正ー日系人の入国の扉を開いた

坂中提案

外国人の公正な出入国管理を目的とする入管法は、外国人が入国して行う活動内容に注目し、日本国が好ましいと認める外国人の活動類型、すなわち「在留資格」を定めている。要するに在留資格は、日本の外国人受け入れ政策を対外的に明らかにしたものである。

1988年4月、私は法務省入国管理局の総括補佐官というポストにあったが、そんな私に、突然上司から、「入管法の在留資格はいまの時代に合わない。外国人労働者問題に対応するため在留資格の全面的な見直し案を作るように」との特命が下った。

当時はバブル経済の全盛で労働力不足が深刻だったため、外国人労働者の受け入れを求める矢のような催促が産業界から入管に向けられていた。

これを受けて、「単純労働者はまだしも、専門知識・技術を有する外国人に対しては門戸を開く」という基本方針が法務省内で固まったのだ。

私は在留資格に関する「腹案」を持っていた。1974年から検討を重ね、長年温めてきた「在留資格制度改革試案」が私の手元にあったのだ。それを参考にし、日本の入国管理制度の根幹をなす在留資格制度の全面改正要綱案を短期間で書き上げることができた。

私は、入管の仕事を始めた1970年代初めから、日本が受け入れる外国人のカテゴリーを定めた「在留資格」について素朴な疑問を持っていた。

役所に入ってまもない私は、日本政府が最優先に入国を認めるべき外国人は、日本人の子供であり、また日本人の配偶者であると思っていた。それは、国民の福利を守るという行政目的から導かれる自然な考えであった。

実際、英国など諸外国の入国管理法制を見てみても、自国民との間で、血縁関係や婚姻関係を有する外国人がもっとも優遇されていた。そのような考え方は、世界のどの国でも同じで、入管当局の共通認識だと思っていた。

ところが驚くべきことに、当時の入管法は、「日本人の子」と「日本人の配偶者」を正面から受け入れる仕組みになっていなかったのだ。

在日韓国・朝鮮人の子供には比較的安定した法的地位が認められていた。しかし、日系人の子供は法務大臣の裁量で入国が認められるにすぎない不安定な地位であった。

1970年代の日本では、日本人と外国人との間に生まれた子は「法務大臣が特に在留を認める者」という特例で入国が認められる可能性はあったが、日本人女性と結婚した外国人の入国は認められなかった。その背景には、国際結婚をした日本人女性は、結婚相手の国へ行くべきだとの旧態依然とした考え方があった。

これはどう考えてもおかしい。その疑問が、私の法改正案の出発点のひとつだった。

なによりも私が許せなかったのは、海外に移住し、日本に里帰リしようとする日系人に対する待遇の不備である。

法改正にあたって私は、「日本人移民の子孫たちに対して入管行政は何ができるのか」という視点を在留資格に反映させたいと考えていた。

私が原案作成で主導的な役割をはたした入管法の改正法は、1989年の国会で成立し、翌年6月から施行された。

改正入管法の施行により、私の悲願であった日本人の配偶者および日本人の子として出生した者を受け入れるための「日本人の配偶者等」の在留資格と、日系人の子孫(「日本人の実子」および「日本人の実子の実子」に限る)などを受け入れるための「定住者」の在留資格が新設された。

この法律改正によって、ようやく日本人の血縁者や日本を祖国とした人たちに入国の扉が開かれたのである。

その結果、ブラジル移民の子孫たちの入国が急増し、最盛期には約30万人の登録者を数えるまでになった。

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