言行一致の生き方を貫く平成の侍

坂中提案

私の官僚時代はつらいことばかりだったのだろうか。世間の常識からすればそうだということなのだろう。荒海に舟をこぎ出し、荒波にもまれ、難航が続く入管人生だった。

在日韓国・朝鮮人の法的地位問題(1975年)を皮切りとして、中国人偽装難民事件(1989年)、フィリピン女性の人身売買事件(1995年)、日系ブラジル人の処遇問題(2000年)、北朝鮮残留日本人妻の帰国問題(2002年)、そして人口減少社会の日本の移民政策の立案(2004年)など、出入国管理行政上の難題と取り組んできた。

いばらの道を歩んだが、政策が次々と実現したことが唯一の心の支えとなった。私はよく、法務省の上司や同僚から、「自分が提案した政策を実現できたのだから、君の役人人生は幸せだなあ」と言われた。

入管時代、誰もが恐れて手をつけない課題に挑んだ。アンタッチャブルとされる問題と格闘した。それが幸いした。競争相手が不在で私の独壇場であったから、自由自在の活躍ができた。

問題を発見し、政策論文を書き、立法など政策の実現に努力した。しかし、国民の圧倒的多数は在日朝鮮人の問題や移民政策に無関心だった。それどころか、一部の人びとから猛烈な反発や攻撃を受けた。昔は冷酷な官僚と罵倒された。今は売国奴とののしられている。

どれもが難問中の難問であったから、問題の解決までに気の遠くなるような年月がかかった。たとえば移民国家の建設については、人口危機という有史以来の民族的危機が深まった結果、千年来の移民鎖国の禁忌が破られ、歴史的な国民的議論が始まった。

決してあきらめることなく信念を貫き通せば、人知の及ばぬ力が加わって不可能が可能になることもあるのだ。自分の歩んだ道を振り返ると、タブーへの挑戦は栄光への道であったことをしみじみ思う。

退官後は移民国家の創建に挑戦している。言行一致の生き方を貫く平成の侍は難攻不落の城を落とし、いま新しい城を築くため奮闘している。

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