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自作自演で政策提言が実現した入管人生


 
1981年6月、1952年4月28日の日本国との平和条約の発効により日本の国籍を離脱した朝鮮半島・台湾出身者及びその子孫に対し申請に基づき法務大臣が羈束(きそく)的に永住を許可すること等を内容とする「出入国管理令の一部を改正する法律」(昭和56年法律85号)と、難民認定手続を定めること、国民年金法等社会保障関係法における国籍要件を撤廃すること等を内容とする「難民の地位に関する条約等への加入に伴う出入国管理令その他関係法律の整備に関する法律」(昭和56年法律第86号)が、第94回国会において全会一致で可決され、成立した。このふたつの法律は、1982年1月1日から施行された。

前者の法律の制定により、それまで親・子・孫の間で法的地位が異なっていた法126-2-6該当者及びその子孫の法的地位が「永住」の在留資格の下に統一された。後者の法律の制定により、在日韓国・朝鮮人は国民年金制度等の社会保障制度の適用を日本国民と同じように受けられるようになった。

私はこれらの法律の立案作業において実務担当者として主動的役割を果たした。1977年の坂中論文で提案した在日朝鮮人の法的地位の安定化及び待遇改善並びに難民の地位に関する条約等への加入が盛り込まれた法律の制定に参画した。

往時の私は、官僚の世界に身を置くものとして自分の立てた政策提言が実現こと以上の名誉なことはないと感謝の気持ちでいっぱいであった。官僚の末席をけがす私に責任ある仕事を任せた法務省幹部の大抜擢に感激し、意気に感じた。序列を重んじる官僚の世界で国の大きな政策の実現を若手官僚に託するというようなことは例を見ないのではないか。

ここでこの立法以後の職業人生について述べておく。およそ駆け出しのころ大きな業績を残した官僚は、平穏無事をモットーに立身出世の道を目指すと思われる。だが、私はその真逆の生き方を歩むことになった。決して意図的ということではなく、自然の流れで成るべくして成ったということなのだが、移民国家の樹立を目標に掲げて移民鎖国思想と闘い、左遷の連続に見舞われ、まわりが敵ばかりの状況下で波乱の入管人生を終えた。