移民立法の分野は坂中英徳の独立独歩の世界

坂中提案

私は在日朝鮮人の法的地位に係る立法を皮切りに移民政策の立案に全霊を傾けてきた。移民鎖国体制の打破と移民国家体制の確立に職業人生の大半を費やした。法務省入国管理局を退職後は、移民政策研究所所長の立場で、日本オリジナルの移民国家理論の完成を目ざし、移民政策関係の論文を量産している。

うしろを振り返ると、移民政策の立案者は坂中英徳以外に現れなかった。移民政策の立案と移民法制の研究は私の独立独歩の世界ということになった。

そして坂中英徳が移民政策研究のオーソリティの立場になっていた。移民国家の議論が本格化し、新しい国づくりに多数の専門家の力を結集して取り組む必要がある今日、移民政策の立案に精通する専門家が私以外にいない現状に強い危機感を覚える。

なぜこういうことになったのか。近年まで一貫して政治家・行政官・知識人は移民問題をタブー視してきた。しかも移民政策の立案は豊富な実務経験と日本の新しい未来を創る使命感が要求される仕事である。至極当然のことながら、難業中の難業である移民立法と取り組む国会議員も官僚も学者も現れない。

また次のことも、政府はもとより国全体が移民政策について議論すること自体を忌避してきたことの当然の結果である。移民関係法制と入管法に詳しい元法務官僚が立てた移民国家構想に対し、永田町も霞が関も沈黙を守っている。坂中構想について国会で議論されることもない。政治家も官僚も移民政策に関する見識も専門知識もないから議論が成立しないのだ。

移民政策の専門家が不在の政治が続く中、ひとり移民政策研究所所長が移民受け入れの必要性を声高に叫び続けた結果、13年前の移民反対一色から今日の移民賛成多数へと国民世論がダイナミックに動いた。時勢は移民開国へ舵を切った。

その結果、何が起きたのか。移民政策の進め方について国民の意識と政治家の意識との乖離が目立つようになった。およそ国の基本方針を決める場合において大志民意を反映しない政治は民主主義の原則に反するから決してあってはならないことだと、釘を刺しておく。

さて、日本国の将来のあり方を決める大構想について、どうして政府当局者の間で大論争が起きないのか。不思議に思っておられる方も多いと思われる。私が会った世界の知識人も、移民鎖国をかたくなに守る日本を、「世界の七不思議の一つだ」という。じつは、前述のとおり移民政策に政治生命をかける政治家がいないのだ。むろん時勢に逆らって反移民を公言する政治家もいない。つまり日本の政界においては、欧米諸国とは真逆で、移民問題は国論を二分するような政治の争点になっていないのだ。嵐の前の静けさのような無風状態が続いている。

以下は私の個人的見解である。政府首脳は天下の情勢を慎重に読み、国民の間で移民賛成の声が決定的な段階に達したと認めるときに、重い腰を上げて移民立国を決断すると思われる。結局、移民開国の是非をめぐって与野党の議員が国会で激突する場面は見られないであろう。移民政策関連法案は国会で粛々と議論され、全会一致で可決・成立の運びとなろう。

以上のような日本政界の有り様はもちろん日本の政治の円熟さを示すものではない。反対に日本政治の貧困を白日のもとにさらすものだ。幕末から明治にかけて鎖国か開国かで激論を戦わせた日本人の心意気が当代の政治家に引き継がれていないことは誠に残念というほかない。

そもそも移民開国か移民鎖国かというような国の形を決める問題は政治家の専権事項である。憲法改正と同じように、政治家が発議し、国会で激論を戦わせ、国会議員の多数決で決定する、まさに政治の存在理由そのものが問われるほどの政治問題である。

それでは、歴史の転換期を迎えた日本において日本の歴史を動かす真の主役は誰なのだろうか?

移民革命について関心も志もない政治家ばかりということは上述したとおりである。以下のことは、政治が本来果たすべき責任から逃避したことに原因する異様な光景と言うべきである。政治家抜きで憂国の情が厚い国民が国の大改革に向けて移民国家議論を尽くし、移民賛成の国民世論の圧倒的な力が後押しする形で移民国家が成立すると思われる。

ゆきがかり上、不肖ながら私がその先頭に立つ。平成の移民革命は、坂中英徳移民政策研究所所長が先導し、国の将来を憂いる国民が協力して成った快進撃として日本の歴史に記録されるであろう。

政治との間に適度な距離を置いてきた私は、もともと政治家の代役を務める考えはなかったが、事の成り行きで移民国家を立国する舞台で主役を演ずる立場に躍り出たということである。移民国家議論において移民政策研究所長が政治家に代わって国民をリードする役割を果たした。たまたま在野の身の人間が天職に出会ったということなのか。あるいは僭越きわまる振る舞いなのか。移民国家の創建のことで頭がいっぱいの今の私にとってそのあたりのことはどちらでもいいことだ。移民国家の成立後に学者の間で大いに議論していただきたい。

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