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移民社会つくる時代の幕が開いた

移民政策の世界は坂中英徳の独立独歩の時代が長く続いた。「移民政策」という言葉の使用までもタブーとされてきた。

その局面が大きく動いたのは最近のことである。安倍晋三首相が「移民政策はとらない」と繰り返し強調したことによって「新しい国づくり」のキーワードが瞬く間に広がった。一部メディアも恐る恐る「移民政策」という言葉を使い始めた。

「これは移民政策ではない」と、移民が嫌いな政府は土俵際で必死にこらえているが、2018年10月の国会において「このたびの入管法改正は実質上の移民政策への転換ではないのか」という野党の正論にたじたじというか、逃げ腰というか、国民の前に醜態をさらした。

日本という国は、その真意のほどは知らないが、公式見解から判断する限り、国政をあずかる最高権力者が移民鎖国に固執する国である。国民が社会の消滅危機と絶対的人材不足に強い危機感をつのらせるなか、世論と時勢を読めない政治が断末魔を迎える日は近いと感じる。政治の体たらくにしびれを切らした世論に押し切られる形で政府が移民開国を決断する場合には、歴史教科書は「安倍晋三首相は最後の最後まで移民政策に抵抗した」と特記するであろう。

移民政策研究所の所長として、移民政策研究のパイオニアとして、「移民政策」という言葉が市民権を得たのは喜ばしい限りだ。

しかしながら、移民政策のプロの眼には、移民政策という言葉がひとり歩きし、政治家やメディア関係者が各人各様に使っているように見える。この言葉の持つ真の意義を理解したうえで使用しているとは言い難い。

国会において与野党の議員がにわか仕込みの思いつきで討論している。政府側も準備不足で答えに窮し、議論がかみ合っていない。与党も野党も移民政策をとることの是非について腰が定まっていないので党の見解を開陳することもない。まるではれ物に触るような態度で質疑応答している。これが日本の未来を背負う政治家の実体だと思うと、移民国家の将来が思いやられる。

移民政策に関する無責任政治が続けば日本の将来は絶望的だ。日本再生の望みもかなわない。50年後の国民から国家存亡の危機に令和の政治家はどのような行動をとったのか、それが厳しく問われるだろう。

さて、外国人の受け入れの歴史が長い欧米諸国は、最初は人身売買による奴隷労働者として外国人を入れた。しかし、現代世界において最善の外国人受け入れ法とされているのは、じつは「移民政策」なのである。欧米の研究者の間では、移住者の立場からの「エミグラント」と、入国管理の立場からの「イミグラント」の言葉がもっぱら使われている。  
「奴隷労働者」はもとより、それと近接関係にある「外国人労働者」という言葉も禁句になった。

ひるがえって日本の政治家やジャーナリストの間では「技能実習」「単純労働」「外国人労働者」という言葉が大手を振って歩いている。社会の一員として迎える移民の受け入れと、労働力としてこき使う外国人労働者の受け入れとの違いや、国連などから「日本版奴隷制度」と酷評されている技能実習制度と、人類同胞として永住者として入れる移民政策とは相容れないとの認識が十分ではないという印象をぬぐえない。

外国人を労働力としてしか考えない国に有為の外国人は来ない。外国人を低賃金労働者と見下す国民は異なる民族との共生関係を築けない。これは移民政策の専門家の常識だ。

1200年ほど続いた移民鎖国の時代は終わった。安倍晋三首相が国会で「外国人との共生社会の実現」を語る時代に入った。

2018年12月20日の記者会見において明仁天皇(現上皇)は、「各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています」と、移民社会の未来を照らす方針を明らかにされた。国民が一丸となって世界の模範となる移民社会をつくる時代の幕が開いた。日本の移民国家ビジョンの核心すなわち「人類共同体社会の理念」が世界の移民政策をリードする時代は近いと予感する。