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移民政策研究のパイオニア

私は1975年の在日朝鮮人処遇政策の立案をもって移民政策論文の嚆矢とし、その日から今日まで移民政策立案の一本道を進んだ。日本人の誰もが恐れてやろうとしなかった移民鎖国体制をくつがえすことと、日本独自の移民国家像の創作に挑んだ。一つの問題にテーマを絞り、深く掘り下げた政策論文を一つ一つ積み上げていけば、実現不可能と思われていたことが日の目を見ることがあるのだろう。

いまの私は坂中論文以来44年ぶりにゆったりした気分にひたっている。世界のトップをゆく移民国家の理論的基礎が固まった。日本の人口危機を救う坂中構想の理解者が増えた。政治が移民開国に向かって動き出した。来るべき移民国家を支える土台となる出入国在留管理庁が発足した。ワシントン・ポスト、エコノミストなど海外の有力メディアが移民一千万人構想を破格の扱いで報道した。このように、悲願の移民国家の建設に希望が持てる時代を迎えて安心立命の心境に達したのだろう。

自分の実力以上の業績をあげたと思うが、精魂を込めて事に当たれば一念天に通ずるということがあるのだろう。にっちもさっちも行かない状態に追い込まれたときには天が助けてくれた。難局を脱する奇跡が起きて局面が開けることがあった。

運と奇跡が頼りの冒険家人生の悲惨な末路は覚悟の上で、性懲りもなくタブーとされる問題に集中的に取り組んできた。危機一髪の連続の役人生活を過ごし、「坂中英徳は一週間以内に交通事故に遇う」「坂中局長は年金がもらえるかな」などと脅迫された。73まで命がつながったのは奇跡以外の何物でもない。

和を尊ぶ日本の国風にふさわしい移民国家の理念を打ち立てた。移民政策について国民の理解を得るため奔走した。そして、人口崩壊による日本滅亡の危機という、日本が直面する最大の問題を解決するための道筋を示した。もしかすると死ぬ前に移民国家の雄姿を見ることができるかもしれない。