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移民政策学の泰斗に日本の未来が託された

これまで数多くの論文、著書を発表してきたが、もともとはアマチュアの執筆者に過ぎない。文筆の修行などはしていない。移民政策の立案の必要に迫られ、頭に浮かんだアイディアを明快に表現することを心がけてきた。原理原則にのっとった理論に基づき問題の本質を衝く政策提言を書くことにこだわった。長年政策論文ばかり執筆しているうちに説得力のある政策を打ち出すこつをつかんだのかもしれない。いつの間にか坂中流の論文スタイルが身についたのだろう。禁忌とされる問題に正面から切り込む論文のなかには、国家の基本方針の根本的な変革を迫るものがある。私が「革命家」と恐れられるゆえんである。

入管時代、仕事の合間に雑文をつづり、『今後の出入国管理行政のあり方について』(1975年)、『在日韓国・朝鮮人政策論の展開』(1999年)、『日本の外国人政策の構想』(2001年)、『入管戦記』(2005年)などの論文集を発表した。

以上のように「あり方」「政策論」「構想」「戦記」と銘打った国家的課題と取り組んだが、国の姿かたちを根底から変える移民国家ビジョンを立てること以上に文責の重いものはない。国の存亡に直結するから失敗は絶対許されない。的を射た問題提起と核心をつく解決策を提示しなければ国民の理解が得られない。政策提言が正しかったかどうかは歴史が決める。つまり新しい国のグランドデザインを描く設計者にはぬきんでた構想力と時代を見抜く眼力が要求される。さらに紙に書いた政策を必ず実行する使命感も求められる。

衆目の一致するところにより坂中英徳が余人をもって代えがたい存在と認められたということである。長年の移民政策研究の実績が評価されたのだろう。そのとき私は、移民国家への道を切り開いた先駆者として移民歓迎の方向に国民世論を導く責任を痛感した。

特に最近は、1000年以上も日本人だけで国家・社会・経済を大過なく運営してきたという「日本神話」をくつがえすことは容易でないと思うことしきりである。これは日本人の自信と誇りを傷つける面があり、やっかいな仕事になる。残り時間が限られている私は、移民開国をすれば時間が解決する問題であると割り切って、この問題からは手を引くのがいいのかもしれない。

さらに言えば、私の使命は移民国家理論の完成で終わらない。世界最高レベルの移民国家の礎を築く仕事が残っている。国家百年の偉業を余すところなく達成すれば坂中移民国家構想は完全無欠の成果をおさめることになるが、今の私に畢生の大業をすべて成し遂げる力はない。それは次世代の俊英たちの手に委ねたい。じつを言うと、何もかもすべてうまくゆく人生は私の好みではない。

20代の時分から、いい事ずくめの人生などこの世に存在するはずがないという人生観を抱いていた。天命を知る年になった今も、苦難と試練に耐え、一歩一歩前に進むのが自分の人生だと思っている。

私はやり残したことがいっぱいある人生にひかれる。それは大きな夢を持って生きてきたことの何よりのあかしだ。公務員生活では有言実行をモットーに生きてきたが、たとえば人類の永遠の課題である人類共同体世界の創造は未完成交響曲で終わるのが宿命である。

移民革命という命がいくらあっても足りないことに手を出した以上、論争をいどむ文章をタイムリーに発表して世論を味方につけるしかないと悟った。それを長年続けているうちに論争的な政策論文を書く文章作法が身についた。ほかに何もやることがない文筆家は一日の時間の大半を論文の執筆に使っている。一冊の本を書き終えると、最後の著作を書き終えたと満ち足りた気持ちになる。だが、自己満足に浸っている時間は長く続かない。論文を書くこと以外に何もすることがないのでまた新しい本の執筆に取りかかる。この2年間はその繰り返しであった。

しかし、年を取って頭が鈍ったと感じる。新しいアイディアが生まれなくなった。書くネタも尽きた。最近は新鮮味に欠けるマンネリズムの文章が目立つようになった。あの手この手で問題の本質に迫り、あるいは明快で精緻な理論にしようと努力しているが、それも限界にきたようだ。

このごろ文筆家生活の終焉の日は近いと感じる。私の本は政策論文という性格上さっぱり売れないので出版社から総スカンを食っている。あるいは出版社はタブーとされてきた移民政策を論ずる本を出すことに躊躇する気持ちがあるのかもしれない。それで急に思い立ち、2016年から2018年にかけて移民政策研究所刊の私家本を毎月のように出版してきた。

しかし、この最後のあがきも終わりが近づいたようだ。移民政策のことを書き尽くした坂中英徳に新しい本を書く意欲がなくなったからだ。これまで書くべきことがたくさんあったのでいわば義務的に論文を書いてきたが、精も根も尽き果てたのだろう。

移民政策論文が書けなくなった移民政策研究所長の存在理由がないということは分かっている。それでは私は何を目標にして生きていけばいいのだろうか。これを機に目標に追い立てられる人生とおさらばすればいい。断筆を余儀なくされたのを幸いとし、移民政策の世界から身を引き、悠々自適の生活を楽しめばいい。43年の論文人生にピリオドを打つのだから寂しさがこみあげてくると思うが、それにどこまでも耐えて命を全うするのが物書きの宿命なのだろう。

移民政策論文を書き続けて移民国家の道を開拓し、新国家の雄姿が視界に開かれるところまでがんばった。一本一本の論文を一生懸命書いたので論文人生に思い残すことはない。

一生を論文になぞらえると、移民国家の真の姿を追い続け、起承転結のなった人生といえる。独学で移民政策学を修めた。移民政策研究に没頭し、移民国家の理想像を描き終えた。移民国家の創始者冥利に尽きる人生といってもよいであろう。

日本列島が「移民の楽園」になる移民国家の完成は、100年後の地球社会に生きる日本国民の手にゆだねる。地球市民に成長した日本人とニューカマーの移民が心を一つにし、私のやり残した案件も含め、すべての懸案をかたづけてくれるにちがいない。世界中の移民国家が日本スタイルの移民国家を模範とする近未来を想像すると誇らしい気分になる。