移民政策一本の道

坂中提案

法務省入国管理局の行政官時代、私が発表した著書、論文の大半は「政策」を論じたものであった。外国人にかかる問題を発見し、問題の解決策を提示し、その実現に努めた。なぜかいつも一人三役をこなす立場になった。そんな過酷な運命に後悔していない。そういう「有言実行」の生き方しかできない性分であったということである。

1975年に書いた「今後の出入国管理行政のあり方について」(以下「坂中論文」と略称)という典型的な政策論文を皮切りに、「在日韓国・朝鮮人政策論の展開」(1999年)、「日本の外国人政策の構想」(2001年)、「外国人受け入れ政策は百年の計であるー目指すべきは『小さな日本』か『大きな日本』か」(2004年)など、外国人政策関係の論文を次々と発表した。

出入国管理行政に携わる役人が外国人政策を語るのは危険なことである。それは政治の領分とされているからだ。もっとも、長いこと外国人問題、特に在日朝鮮人問題は政治の世界でタブーとされていたから、外国人政策に関心を持つ政治家は皆無に等しかった。したがって大胆な外国人政策を提案しても政治家から怒られる心配はなかった。

一方、行政内部からの批判、反発を考慮しなければならなかった。特に入管の従来の方針と異なる政策提言を全国紙に発表するときには進退をかけて行った

幸い、問題提起と政策提言は正論と認められたのだろう。私が提案した外国人政策の大半は立法措置がとられ実現した。法務省の上司や同僚から、「自分が提案した政策を実現できたのだから、君の役人人生は幸せだなあ」と言われた。

2005年に入管を退職し、自由の身となった後は、人口崩壊の危機を乗り切るための究極の日本改革である「移民国家の構想」を練ってきた。同時に、移民政策理論の構築に努め、「日本型移民国家の構想」(移民政策研究所、2009年)、「日本型移民国家への道」(東信堂、2011年)、「人口崩壊と移民革命」(日本加除出版、2012年)などの著作を世に問うた。

私は日本型移民政策の理論の完成で満足していない。移民政策一本の道を歩んだ元役人の国家国民への最後の奉公として、移民国家の創建に命を懸ける。日本の存亡がその成否にかかっているからだ。

坂中論文を書いたころ、私は40代の役人に見られていたようだ。入管のそとの世界ではしばらく「論文を書いた人は法務省の参事官」で通っていた。実際の私は、1975年当時、国家公務員になって5年目の若輩であった。

2000年代の初期、全国紙の記者から、「伝説の坂中論文を書いた人は生きておられるのですね」と、驚きの目で見られたことがある。

最近、あるジャーナリストから、「坂中さんは相変わらず1千万人の移民を主張しておられるのですね」と言われた。

68の年寄りだが、どっこい坂中英徳は元気である。「坂中論文の坂中」の昔の名前は返上し、これからは「移民革命の坂中」の新しい名前で大いに暴れる。

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