移民政策の立案に全霊を傾けた人生

坂中提案

なぜ私が、移民政策の世界的権威が「最も新鮮で創造力の豊かな論文」と評価する移民国家の理想像を打ちたてることができたのか。

在日朝鮮人政策を筆頭に移民政策の立案に全霊を傾けたからだ。移民鎖国体制の打破と移民国家体制の確立に人生の大半を費やしたと言っても過言ではない。

1975年に『今後の出入国管理行政のあり方について』という政策論文の典型を執筆したことで私の進む道が決まった。その時から移民政策研究一途の生活を送った。あまりに重い研究テーマを選んだので、自分を叱咤激励して前に進むしかない困難の道が続いた。法務省入国管理局を退職した2005年に外国人政策研究所(現在の一般社団法人移民政策研究所)を設立。以後、移民国家への道をつくる信念を貫き、移民政策論文を量産している。

気がつくと、移民政策関係の著作は25冊余を数える。幾つかの論文は社会にインパクトを与えた。私の移民政策研究の集大成といえるのが、最新作の『私家版 日本型移民国家が世界を変える』、『私家版 東京五輪の前に移民国家体制を確立したい』および『私家版 日本の移民政策の展望』である。

うしろを振り返ると、移民政策の立案者は私以外に現れなかった。国家百年の計を立てるのは年季の入る仕事なのだろう。青雲の志を立てた坂中論文から円熟味が加わった私家本五部作まで、移民政策および移民立法の研究は私の独り舞台であった。移民国家の議論が本格化し、新しい国づくりに多数の専門家が総がかりで取り組む必要がある今日、移民政策に精通した専門家が不在の現状はけっして好ましいことではない。

どうしてこんな憂えるべき事態になったのか。近年まで政治家・行政官・知識人は移民問題をタブー視してきた。当然のことながら、危険を冒して移民政策の立案をライフワークとする国会議員も官僚も学者も出てこない。その結果、移民政策に明るい専門家がいない不幸な状況を招いたと考えている。

以下のことも、国全体が移民政策について議論すること自体を忌避してきたことの当然の帰結である。移民法制と入管法に詳しい元法務官僚が立てた移民国家構想に対し、永田町からも霞が関からも批判の声が上がらないのだ。坂中提案は政府部内で暗黙の了解が得られたということなのか。それとも嵐の前の静けさなのか。ともかく無風状態が続いている。

日本国の将来のあり方を決める国家的課題について、なにゆえ政府当局者の間で大論争が起きないのか、不思議に思われる方もおられるかもしれない。実は、前述のとおり移民政策に政治生命をかける政治家がいないのだ。無論、反移民で論陣を張る政治家もいない。

つまるところ日本では、欧米諸国で見られるように、移民問題が国論を二分する政治の争点にはならないだろう。おそらく移民開国の是非をめぐって与野党が国会で激突する場面も見られないであろう。

以上のことは、もちろん日本政治の円熟さを示すものではない。日本政治の貧困さの何よりの証明である。鎖国か開国かで激しい議論を戦わせた幕末から明治にかけての政治家の愛国心と見識が当代の政治家に引き継がれていないのは誠に残念というほかない。

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