移民政策の世界的権威が驚く移民国家理論

坂中提案

なぜ移民政策の世界的権威が「新鮮で創造力の豊かなもの」と評価する移民国家理論を打ちたてることができたのか。

在日朝鮮人政策を筆頭に移民政策の立案に集中的に取り組んだからだ。42年間、移民政策の一本道の人生を歩んだ。移民鎖国体制の打破と移民国家体制の確立に人生の大半を費やした。

1975年に『今後の出入国管理行政のあり方について』という典型的な政策論文を書いたことで私の進む道が決まった。その時から一心不乱に移民政策研究と取り組んだ。あまりにも重いテーマであったので、自分を叱咤激励することで前に進むしかない時代が続いた。法務省入国管理局を退職した2005年に外国人政策研究所(現在の一般社団法人移民政策研究所)を設立。以後、移民政策研究の鬼となって論文を書き続けた。

移民政策関係の著作は20冊余を数える。幾つかの論文は社会に衝撃を与えた。私の移民政策研究の集大成といえるのが、最新刊の私家本三部作、『私家版 日本型移民国家が世界を変える』、『私家版 東京五輪の前に移民国家体制を確立したい』、『私家版 日本の移民政策の展望』である。

うしろを振り返ると、移民政策の立案者は私以外に現れなかった。百年の計である国家政策を立てるのは年季の入る仕事なのだろう。長年、移民政策の理論的研究と実践の分野は私の独壇場であった。移民国家の議論が本格化し、新しい国づくりに多数の専門家の総がかりの協力を必要とする日本国にとって、このような状況はけっして好ましいことではない。

どうしてこういうことになったのか。近年まで政治家・行政官・研究者は移民問題をタブー視してきた。当然ながら、危険を冒して移民政策の立案と取り組む政治家も官僚も出てこない。その結果、移民政策の専門家が不在の今日の状況を招いたということである。

だからこそということなのかもしれないが、移民法制と入管法の双方に詳しい元官僚の立てた移民国家構想に対し、永田町からも霞が関からも批判の声は上がらなかった。不思議に思われるかもしれないが事実である。今も基本的に四面楚歌の状況に置かれているが、私自身は、日本政府は遠大な坂中構想に対し実に寛大であったと感謝している。いわば放し飼いにされた鳥のように自由に大空を飛ぶことができた。それゆえに世界の移民政策を牽引する移民国家理論を立てることができたのだと思っている。

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