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移民国家ビジョンが政府部内で容認された

法務省時代、タブーとされる危険な問題にばかり首を突っ込んだ。1970年に入管に入ったとき、将来、まさか厄介きわまる移民政策の立案と格闘する運命が待っているとは思ってもいなかった。もっとも、駆け出しの役人のころから、在日朝鮮人問題、北朝鮮帰国者問題、難民問題、移民問題など、一筋縄では行かない課題に取り組んだ。移民政策の世界は私の独り舞台に終始し、自由自在の活躍ができた。

 
さて、概して移民問題に対し「さわると身が危ない」という空気が支配的であった法務省など政府部内において、大胆不敵な坂中移民政策論を積極的に受け入れる土壌はなかったと認識している。だが、そうかといって強い反対意見を述べるほど、それに反論することに熱心な役人もいなかったのである。元入管官僚が立てた移民政策に対して政府高官たちからの批判の声が出なかった。彼らは沈黙を守った。それは何を意味するか。声を大にして言い続けた坂中提案があっというまに官僚の世界で消極的に首肯されたのである。

そうなると不思議なもので、官僚機構が積極的に取り組む気がなかった一大国家プロジェクトでも、それが独り歩きして政府方針に発展することもあるのだ。つまり、日本型移民国家ビジョンは明らかに坂中英徳ひとりの個人的見解であったが、時代の要請にこたえた坂中構想が政府部内で容認されたのである。

2018年10月。先輩、先輩と私を立ててくれた霞が関の後輩たちが移民政策の推進で立ち上がった。孤軍奮闘の時代が続いた私にとって最強の援軍の登場である。後顧の憂いがなくなった。