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移民国家ニッポンは坂中英徳の単数意見から生まれる

入管時代、当面する最重要課題にひとりで立ち向かい、休まるひまがなかった。非難・罵倒・脅迫の集中攻撃を受け、心おだやかな時は少なかった。ストレスに押しつぶされそうになったが、本業のかたわら政策論文を書くのが心の支えになった。75歳までの命をいただき、『今後の出入国管理行政のあり方について』(1977年)、『在日韓国・朝鮮人政策論の展開』(1999年)、『日本の外国人政策の構想』(2001年)、『入管戦記』(2005年)などの移民政策関係の著作や、大部の入管法コメンタールを書き続けることができた。

ルーチンワークを終えた深夜の時間帯に移民政策について思索にふけるのが何よりの楽しみであった。政策論文を書くという精神安定剤を持っていたから、反坂中英徳の空気が充満する世界で何とか生きてこられたのだと思う。役人生活を全うした2005年以降は、移民政策研究所の所長として論文の執筆に専念している。論文を書くことが生きることのすべてある私は健筆をふるって健在である。余命が少なくなった今が論文人生の盛りなのかもしれないと思っている。

有言実行の公務員人生を振り返ると、特にタブーとされる難題に挑むにあたっては、行動を起こす前に問題提起と決意表明の文章を全国紙や雑誌に発表するのを常とした。公表することで政策の実行を国民と約束し、退路を断って政策の実現につとめた。

50年の職業人生を端的に言えば、「坂中英徳の単数意見を国民の多数意見に変える」という無謀な計画に挑戦するものであった。移民政策の世界は「坂中英徳の独断専行」の時代が長く続いた。私の政策提言に共鳴する人も関心を持つ人も現れなかった。しかし、天の助けがあり、奇跡が起き、政策提言の大半が実現した。

向こう見ずの流儀で独走したが、自分が正しいと信じることのみを行なった。自分の美学を貫いた。革命家の思想・信条・表現の自由がパーフェクトに保障される時代とめぐりあった幸福をかみしめている。もし幕末の日本に生きていたら、私のような移民開国派の先達は移民鎖国派の過激分子から真っ先に殺されていたにちがいない。

賛同する人がゼロの地点から国家的大事業に挑戦し、筆一本で国民の大体の賛成を取りつけるところまできたこと、並びに、一人の犠牲者も出さずに大きな変革を成し遂げたことを思うと感無量である。