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極左と極右の双方から攻撃された革命家

私は1975年の坂中論文から今日の移民国家構想まで幾度も修羅場を経験して多くのことを学んだ。第一に、極左勢力や極右勢力による坂中批判が激化すればするほど、それは坂中理論の正しさを証明するもの以外の何物でもないとポジティブに受け止めること。第二に、タブーへの挑戦は栄光への道につながるものであると前向きにとらえること。

反坂中勢力からの猛攻がエンドレスで続くなか孤高を持する立場を貫いた。1970年代の在日鮮人問題に始まり今日の移民受け入れ問題に至るまで、私が唱えるマイノリティ論は極左と極右の双方から嫌われ、攻撃の標的になった。極左(在日朝鮮人問題)と極右(移民問題)の両者から批判の集中砲火を浴びるという稀有の経験をした人生をどう理解すればいいのだろうか?

もとより批判を恐れて穏健かつ中道の道を選んだというわけではない。そうではなく、理想の極致をめざす正論を吐き続けたがゆえにそのような立場に追い込まれたということである。

当然ながら極左と極右の両陣営と敵対関係にある坂中英徳の革命思想に共鳴する知識人も政治家も現れなかった。1975年の坂中論文の時代から2020年まで、在日朝鮮人問題および移民問題と一人で立ち向かう、四面楚歌の状況下に置かれたのである。それはあまりにも純粋理論を唱えたがゆえの自業自得である。

しかし、時代が変わり、社会の風潮が変わり、声なき声の支持を得て、在日朝鮮人の処遇改善策をはじめ移民政策の大半が日の目を見ることになった。さらには、立法措置が取られ、坂中論文で提案した政策の大半が実現した。

ただし、それによって「危険な革命家」という坂中イメージが払拭されたかというと、そうとも言えない。むろん有言実行の業績が認められたというわけでもない。今日、国論は移民開国の方向に舵を切ったが、国民の一部から危険人物と恐れられ、革命家として忌み嫌われる立場に大きな変化は見られない。いったん身についたイメージをくつがえすのは簡単なことではないのだろう。危険な革命家として生涯を終える定めと覚悟している。

日本の歴史書をひもとくと、偉大な革命を成し遂げた「人物」が正当に評価されることは少なかったようだ。日本人は革命家が嫌いな民族なのだろう。しかし、移民全盛期の近未来には「令和の革命家」が評価される時代が訪れると確信している。