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有言実行の役人生活

入国管理局時代、私が発表した著書、論文の大半が、移民政策、在日朝鮮人政策など「政策」を論じたものであった。外国人にかかる問題を発見し、問題の解決策を提示し、入管法の改正などその実現につとめた。自然の流れでいつもひとり三役を担う役人になっていた。

なぜ移民政策立案一筋の困難の道を歩むことになったのか。もともと政策を立て、それを実現することへのこだわりが人一倍強く、いつのまにか政策通の役人になったということではないか。政治の世界と距離を置くべき立場にある官僚の世界から飛び出し、政治の領分とされる移民政策に首を突っ込んだ坂中英徳は、「危険人物」の代表であったと自認している。よく首がつながったものだと感心する。

出入国管理行政に携わる役人が移民政策を語るのは危険この上ないことである。それは国家裁量の最たるもので政治家の本来やるべきことである。もっとも、私が役人生活に入った1970年代の日本では、外国人問題、特に在日朝鮮人問題は政治の世界でタブーとされていたので、外国人政策に関心を持つ政治家はいなかった。政治が受け持つべき課題に乗り出した行政官が、在日朝鮮人政策を立案しても、政治家から文句をつけられる心配はなかった。

もう一つ問題があった。行政内部からの批判、反発を考慮しなければならなかった。特に、法務省の従来の方針と異なる政策提言を公表するときには進退をかけて行なった。幸い、問題提起と政策提言は正論と認められたのだろう。私が提案した外国人政策の大半は立法措置がとられ実現した。私の役人時代は、「問題の発見」と「政策の提言」と「政策の実現」に象徴される、生きがいに満ちた公務員生活であった。

2005年に法務省を退職した後は、移民政策研究所を立ち上げ、人口減少社会の移民政策の研究に没頭した。同時に、移民政策論文の執筆にも力を入れ、『日本型移民国家への道』(東信堂、2011年)に代表される一連の著作を発表した。研究時間がたっぷりあり、知的生産活動に集中できたので、坂中移民政策論は説得力を増し、理論的にも進歩の跡が見られたと思う。日本の知的世界で無視されたが、世界のジャーナリストから異例の評価をもらった。それが、私が移民政策研究を続ける元気の源になった。

移民国家理論の完成で人生を終わりたくない。やり残したことがある。移民法制の確立である。移民立法でライフワークを締めくくることができれば最高である。さらに欲をいえば、移民国家が成立した後は、日本の移民政策の理念を国民に理解してもらうため、移民国家の立国の精神の語り部となって全国を行脚したい。