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政治家の顔が見えない移民政策の世界

以下において、移民国家の創建に生涯をささげてきた坂中移民政策研究所所長が、日本の未来を担う政治家各位の猛省と奮起を促すため、日本政治のあり方を根底から批判する論を展開する。

政府首脳は世論の動向を慎重に読み、国民の間で移民賛成の意見が決定的な段階に達したと認めるときに、重い腰を上げて移民立国を決断すると思われる。つまり世論の大勢に従う形で国家の大事を決めるということである。

このような日本政界の風景はむろん日本政治の円熟を示すものではない。一見すると、それは民主主義の原理原則にかなう理想の国づくりのように映るかもしれない。もとよりそういう見方は正しくない。それは日本政治の無能と貧困の証明以外の何物でもない。幕末から明治にかけて鎖国か開国かの激論を戦わせた政治家の遺伝子が令和の政治家に引き継がれていないのはかえすがえす残念というほかない。

移民開国か移民鎖国かというような新しい国の形を決める問題は政治家の専権事項である。憲法改正と同じように政治家が発議し、国会で真剣に議論し、国会議員の多数決で決定する、まさしく日本政治の存在理由そのものが問われるほど重要な政治マターである。しかし、政治家の本来果たすべき役割を正しく理解していない国会議員の大半は、国の運命を決する場面で蚊帳の外に置かれても屈辱感すら感じていないのではないか。

では歴史の転換期を迎えた日本の歴史に新しいページを開く主役は誰か。少子化世代の未来展望が開けないことが明白になったこの期に及んでも移民政策にかかわることを避ける政治家でないことは、賢明な国民は全部お見通しだ。以下に述べることは、今後も政治家がリーダーシップを発揮することを放棄した場合の移民国家への道のシナリオである。

そのときには、政治家に代わって国民が移民開国の是非の議論を尽くし、移民政策を待望する国民の圧倒的パワーが政治の抵抗を押し切る形で移民国家・日本が誕生すると見ている。そして、九死に一生を得た日本は健康体の国としてよみがえると確信している。

その場合、日本の歴史に刻まれる移民国家の立国において政治家はわき役に甘んじることになる。無責任きわまる政治家に代わって、これまで積み重ねてきた実績から天命を帯びる立場にある坂中英徳が、国民の総意を背負って、移民国家を造営する先導役をつとめる。令和の移民革命は、坂中英徳移民政策研究所所長が問題を提起し、国の将来を憂える国民が立ち上がった「民主主義革命」と、歴史教科書は記述するであろう。

国家公務員時代、悪徳政治家から酷い目に遭った私は、当初、政治家の代役をつとめる考えはなかった。しかし、移民政策でリーダーシップを発揮する気概が全く見られない政治家の態度に業を煮やした私は、移民立国に関する国民的議論の帰趨を決める最終局面において主動的役割を果たすことを決心した。そして、移民国家議論においてこれまで蓄えてきた実力を発揮し、懸命の著作活動と啓発活動を通して移民賛成の国民が多数を占める世論形成に尽力した。

これを要するに、移民政策研究一筋の坂中英徳が、国の将来に不安を感じている国民に背中を押される形で移民立国の立役者の座に押し上げられたということである。

以上、辛辣な政治家批判を展開した。しかし、以下のことを付け加えないと公平性に欠ける。すなわち私が提案する革命的な移民国家構想を表立って批判する政治家は一人も現れなかったということである。自民党、立憲民主党、公明党、共産党などの政党が移民政策に対する反対勢力にくみすることもなかった。それどころか、政治家の多くが、移民政策研究所所長の立てた日本型移民国家ビジョンの進展を好意的に見守ってくれていたと肌で感じる。この事実は極めて重い。なぜなら、このことは、国民と政治家が心を一つにして新しい国づくりに邁進するという大きな意味を持つからだ。

移民政策に限って言えば、排外主義思想に決してかぶれることがなかった日本の政治家は、人種差別・宗教差別・反移民の本音が露見した欧米の政治家と比べて格段にリベラルであると敬意を表する。

最近の政府首脳の発言などを総合的に勘案すると、超少子化問題を最大の政治課題と認識する政治家の間で前例のない人口危機を乗り切るには移民革命が不可欠とのコンセンサスが形成されつつあると私は見ている。

怖いもの知らずのボランティア活動家が政治の本丸に乗り込み、新しい国づくりに多少の貢献ができたとすればこの上ない喜びである。それは坂中英徳の型破りの活躍を許してくれた日本の政治風土のおかげと感謝する。