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政治家のリーダーシップで令和の革命を

ここ数年、移民政策関係の論文を精力的に書いている。その成果の一つが、2016年4月に発刊した『日本型移民国家の創造』(東信堂)である。そして同年8月3日、尊敬する野田一夫先生の肝いりで、友人諸氏が集まってこの本の出版記念会が開催された。

移民政策に理解のある国会議員5人の参加があり、自民党、民進党(当時)、公明党の各会派の政治家から身に余る言葉をいただいた。長年の坂中英徳の労を多とすると述べたうえで「一緒に協力して新しい国を創ろう」と、私との間でエールの交換があった。その時、日本型移民国家構想は日本の将来を憂慮する政治家の心をとらえ、坂中構想は心ある政治家に引き継がれるとの思いを強く持った。

また、熱血官僚たちの激励の言葉も相次ぎ、約60人の同志が集まった会場は移民政策一色の熱気に包まれた。当代きっての慧眼の士である野田一夫先生は「移民国家の創建をめざす国士の決起集会のようだ」と感想を述べられた。各位から心のこもったスピーチをいただいて私は感涙が止まらなかった。日本型移民国家の創造が最重要の政治課題と認知されたこの日のことを私は決して忘れない。

「2016年8月3日」を境に、移民国家構想は超党派で取り組む政治課題に発展すると思った。フランスやドイツで見られる移民排斥を主張する極右政党は現れないこと、国会議員の間で移民政策をとることの合意が全会一致で成立することも確認できた。

付言すれば、「移民はお断り」「移民は嫌い」などと公言する政治家は出てこないと見ている。穏やかな意見の持ち主が多い日本社会において「排外主義者」「国粋主義者」のレッテルを貼られた政治家の末路は惨めなものである。

じつは、この14年間、国の形を大きく変える移民国家プロジェクトに一民間人が主導的役割をはたしていいものか、政治の覚醒を待つべきではないのかという考えが頭をもたげ、政治との関係でずいぶん悩んだ。苦渋の決断であったが、国家の命運がかかる移民問題をタブー視する政治家の無責任な態度にしびれを切らし、思い切って政治の聖域に乗り出した。将来、各方面から民間人が出過ぎたことをしたという批判が起きることは覚悟の上である。

その皮切りが、2008年6月に自民党外国人材交流推進議員連盟がとりまとめた「日本型移民政策の提言」の原案の作成である。大胆にも政治家のやるべき仕事に深入りしたが、もともと私は権力志向の政治的人間ではない。移民政策を立てるのが生きがいのボランティア活動家である。

これがいわゆる「過ちの功名」というべきものなのかもしれない。それが思わぬ良い結果をもたらした。移民政策は政争の具にならずにすんだ。度量の大きい政治家と出会い、政治家から文句をつけられる心配はなかったから、日本型移民国家ビジョンの全体像を思い通りに書き上げることができた。その結果、移民国家の創造という世紀の大事業は、政治主導ではなく、民間の移民政策の専門家が書いた日本型移民国家大綱に基づき進められることになった。

国民が心を一つにして空前の国家危機を乗り切るという大局的見地に立って考えると、結果すべてオーライと言えるのかもしれない。ただし、手続き面を重視する立場から、民間人が出すぎたまねをしたと批判する向きもあるかもしれない。あるいは、移民政策の立案が移民政策研究所長の手に委ねられた結果、移民政策をライフワークとする政治家が育つ機会が失われたという批判もあるかもしれない。自分たちの無責任さを棚に上げての理不尽な批判であるが、ともあれそのような批判もあることに留意し、一介のボランティア活動家の立場からマイノリティ問題の解決に主として理論面で貢献したいと思う。

移民国家への道が最終段階に来た2019年10月。移民政策研究所の所長は、政治との関係について、政治家の顔が立つように気を配るとともに、黒子に徹する必要があると胸に刻む。元東京入国管理局長という昔の名前は捨てる。民間の移民政策研究所所長の立場に徹し、もっぱら啓発活動で国難に挑む。むろん今後も移民政策論文を書き続け、移民政策のオピニオンリーダーの任を全うする立場に変わりはない。

移民政策を巡る議論が本格化すると、私の果たすべき役割はいっそう重要になると覚悟する。わけても移民政策に賛成する国会議員が多数を占める政治状況を早く作り出す必要がある。

坂中英徳移民政策研究所長から国会議員各位に提案がある。移民国家の建国という日本の歴史に残る偉業は、政治家のリーダーシップで有終の美を飾っていただきたい。2020年の東京五輪の時に移民国家・日本が本格的に始動するため、2019年度中の移民政策関連法案の成立に尽力願いたい。新しい元号の日本が新進気鋭の移民国家として世界に飛び立つためである。

後世の歴史家はこれを「令和維新」ないしは「令和革命」と命名するだろう。