平成時代の日本人に生まれて良かった

坂中提案

政治家の立場と革命家の立場には相容れないものがあることは、古今東西を問わず、一般的に認められるのではないか。日本の移民革命を提唱する坂中英徳と日本の国政を担う政治家とはどのような関係にあるのだろうか。

昨年末、親しい英国人ジャーナリストから、「革命的な移民国家構想を提言している坂中さんに官邸から圧力がかからないのですか」と聞かれた。私は「四面楚歌の状況に変わりはないが、永田町から坂中構想に対する批判、圧力は一切ない」と答えた。彼は少し驚いた様子だったが、「日本は言論の自由が保障されるいい国ですね」と述べた。

事実、この10年間、日本政府は、移民革命を唱えるラジカルな革命家を敬して遠ざけるというか、自由に泳がせるというか、その真意のほどはともかく、坂中英徳を自由放任でほうっておいた。私はそれをいい事に自由自在に移民革命論を展開した。移民政策の立案は私の独壇場に終始した。

私は新刊が出るたびに政府首脳に献本した。坂中移民国家論は年を追って体系が整い、説得力も増したが、官邸は日本革命論の発展を寛容の精神でウォッチしていたのかもしれないなと最近ふと思った。いわば持ちつ持たれつの関係が官邸と坂中英徳との間に成立していたとすれば、「政府の黙認のもとで大きな夢を追い求め、天下国家のことをほしままに論ずる坂中英徳は日本一の幸運児」と言わなければならない。革命家が社会から抹殺されることはない平成時代の日本人に生まれて良かったと思う。

話題を変えよう。平成の革命家の仕事は移民国家理論の完成で終わらない。理想的な移民国家を創る大業が残っている。百年の計が実行に移されれば坂中構想は終わりをまっとうすることになるが、何もかもうまくいく人生にはロマンがない。大きな夢に向かって悪戦苦闘している最中に幕を閉じる人生がいい。死後に奇跡が起きて夢が実現すればなおいい。

画竜点睛を欠く未完の人生に憧れる。法務省時代は有言実行をモットーに生きてきたが、人類史に刻まれる日本型移民国家の創造は未完成交響曲で終わる運命にある。それは数世代の日本人の血がにじむような努力を必要とする世紀の大事業である。世界の頂点に立つ移民国家の完成は二十二世紀の地球人の手にゆだねる。その理論的基礎と移民国家の土台を築くところまでが坂中英徳の仕事である。

私の夢想的願望をいわせてもらえば、日本型移民国家の全体像と設計図、基本理念と哲学をえがいた著作が、百年後も世界の人々の間で議論されることを望む。後世の人たちが坂中移民国家創成論を批判的に徹底的に検討し、それをはるかにこえる移民国家の傑作を生みだすのを天上から眺めるのが楽しみである。

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