左遷時代の私は何をしていたのか

以下は1995年の話である。法務省入国管理局入国在留課長として、それまで決して触れてはならないとされてきた興行入国者の問題にメスを入れた。そこは暴力団が暗躍する闇の世界だ。私は陣頭指揮をとって、1995年5月から翌96年3月まで、興行入国者の「出演先」であるバー、キャバレーなどへの実態調査を全国規模で実施した。
その調査結果はというと、調査した444件のうち、実に93%にのぼる412件でホステス活動や売春行為などの不法行為が確認された。その調査結果を受けて、興行の在留資格による入国者の規制を強化した。
この規制措置に対して、芸能人の招聘者であるプロダクションや、ホステスとして使っていたバーやキャバレーなどの飲食店の経営者が猛烈に反発した。
業界の意を受けた政治家まで登場し、「君はいったい何をやっているのだ。お前みたいな頑固者の役人がいるから業界が迷惑するのだ。君は転勤したほうがいい」と圧力をかけてきた。入管行政に影響力を持つ政界の実力者(当時衆議院法務委員長)のゴリ押しに屈しなかった。法律を盾に筋を通した。
悪徳政治家から「頑固者の役人」と名指しされるほど法令遵守の立場をつらぬいた結果、1997年4月の人事異動で仙台入国管理局長の辞令を受けた。以後、二度と法務本省で勤務することはなかった。
福岡入国管理局長、名古屋入国管理局長、東京入国管理局長のポストを歴任し、2005年3月、法務省を退職した。
8年間の地方入国管理局長時代、私は何をしていたのか。じつは引き続き興行入国者の問題の最前線で指揮を執るとともに、執筆活動に力を入れた。その成果物として、6冊の力作を出版した。著作活動という生きがいに満ちた仕事を持っていたから左遷のストレスに耐えられたのだと思う。左遷時代に日本の未来を切り開く業績を残したことを生涯の誇りとする。