実践的移民政策論が政府方針に発展した

坂中提案

法務省時代、身の危険を伴う、人のやらないことばかりやってきた。在日朝鮮人問題にはじまり、北朝鮮帰国者問題、興行入国者問題など、誰も手をつけない難問と取り組んだ。それが幸いした。競争相手が不在で私の独り舞台であったから、時宜にかなったテーマを選び、誰の制約を受けず、思う存分の活躍ができた。無人の荒野をひとりで突き進んだ。

退職後は民間の研究団体・移民政策研究所を設立、移民国家の創建に挑んでいる。そして2016年の今日。米国を始め移民先進国が人種差別と排外主義の台頭に苦悩する中、私は移民国家の新モデルとして人類共同体のアイディアを提案している。この斬新な考えを英語論文『Japan as a Nation for Immigrants』(移民政策研究所、2015年)でも披露した。これが重大危機にある世界の移民政策の新地平を開く契機になれば幸いである。

以下は私の随想である。概して移民問題に対し「さわると危ない」という空気が支配的であった法務省など政府部内においては、革命的な移民国家論を展開した「坂中移民政策論」を積極的に受け入れる土壌はなかったと認識している。だが、そうかといって、猛烈な反対の声が政府機関の中から上がるほど、それに反論することに熱心な役人もいなかったのである。元官僚の実践的移民政策論に対して政府部内から批判の声は出なかった。

そうなると不思議なもので、政府全体として歓迎されない提案でも、積極的な反対の声が出ないことが明らかになれば、それがいつのまにか独り歩きして政府方針に発展することもあるのだ。そう、先見性のある政策提言は実現に向かって進み始めたのだ。つまり、坂中構想は明らかに坂中ひとりの見解であったが、声を大にして具体的な政策を提案したがために政府中枢で是認され、霞が関の後輩が移民政策の推進で動き出したのである。

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