天命と天職と奇跡

坂中提案

最近、私の移民政策を評価する在日アメリカ人から、「坂中さんのような人物が日本に存在するのは不思議だ。どのような人間なのかに関心がある」といわれた。そんなことを言われても困る。私が答を出せるはずがない。

日本一の変わり者であることは認める。型破りの日本人であることも認める。ただ、日本に現存する日本人であるのに、「日本に存在するのは不思議」とまでいわれると気になる。私は人生において「天命」も「天職」も「奇跡」も存在すると信じるたちである。

以下に、坂中による自己分析を試みる。いや、そんなおおげさなものではない。下手な自画像をかく。坂中理解の一助になれば幸いである。

いま、私の人生において1975年の坂中論文以来39年ぶりにゆったりした気分にひたっている。若いときにまるで神のなせる業のような「論文」を書いた責任の重圧を乗り越え、ようやく心やすらかな心境になった。これからは気分を新たにし、大空を飛翔したい。

どうしてこういう気持ちになったのか。何も欲するものはない。何も恐れるものはない。何も心配するものはない。真の自由人になったからだ。

身を捨てる覚悟を決めた。坂中論文で公言した約束をはたした。日本の移民国家ビジョンの理論的基礎を築いた。歴史的な仕事をした。そんなふうに思うようになって、迷いが消え、安心立命の境地に達したのだろう。

自分の実力以上の仕事を成し遂げたと思うが、人知の及ばぬ力が加わって不可能を可能にするような仕事ができたのだと思っている。精魂を込めて事に当たれば一念天に通ずるということなのだろう。苦境に立ったときには天が救ってくれた。奇跡だとしかいいようのないことが起きた。

運と奇跡に頼る職業人生が尋常なものではないことは自分でも分かっている。綱渡りのような危ないことの連続の役人生活をすごした。何とか無事退職できたが、それこそ奇跡であった。

お天道様が見ているので人の道に外れたことはできないと肝に銘じ、自分なりの正しい生き方と正義感を貫いた。全試合、真っ向から直球で勝負を挑んだ。正々堂々と戦った。

泥沼に足を突っ込み、もがき苦闘する、あまりにしんどいことばかりだったが、無人の荒野を一人行くがごとく、やりたいことを思う存分やらしてもらった。時には波乱を巻き起こし、時には万丈の気をはいた。死闘が続く中で奇跡と遭遇する体験もした。

学生時代の私は平凡な学生であり、平穏な人生を望んでいた。それで国家公務員の職を選んだ。その時、まさか禁忌との闘いに明け暮れる人生が待っているとは夢にも思わなかった。

事実、どんなハプニングが起きても不思議でないのが人生だ。晩年になって人口崩壊という有史以来の危機に見舞われた日本を再建する「移民国家の設計者」の役が回ってきた。

新しい国づくりが双肩にかかることになった。平成時代の日本人の誰かが引き受けなければならない天職である。天命として謹んで受ける。

今度も天の助けがあって日本再生の奇跡が起きるだろう。私の運は天職を与えられたことで尽きたと思うが、移民国家日本の国運は隆盛に向かうと固く信ずる。

理性的に考えると、日々の努力と節目での決断の積み重ねがあって、今の自分があるということなのだろう。すべて自分のなせる業であり、自分の理論を実践した結果であるというのが、合理的な見方なのかもしれない。しかし、そこにもなにほどかの天運の働きがあったにちがいないと思っている。

2012年10月、外国人ジャーナリストが坂中英徳を「革命家の顔」「移民革命の先導者」と世界に紹介した。保守の典型の私がなぜ革命家と呼ばれる人物になったのか。

それも天のたまものものである。幸運に恵まれ、移民政策の立案をライフワークとしてきた日本人が人口崩壊の「時代」とめぐり合ったのだ。移民政策のエキスパートの道を歩んできたのは、前述の奇跡的な坂中論文を書いたからだ。それをきっかけに移民政策の勉強に励んだ結果、いつのまにか移民政策分野の第一人者になり、世界から日本の「ミスターイミグレーション」と呼ばれるようになったということである。

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