夢を追い求める孤高の人生に悔いなし

坂中提案

法務省の行政官時代、荒海に舟をこぎ出し、荒波にもまれ、難航が続いた。いばらの道を歩んだが、1975年に書いた論文、『今後の出入国管理行政のあり方について』(坂中論文)で提案した政策が次々と実現したことが唯一の心の支えになった。

私は法務省の上司や同僚から、「自分が提案した政策を実現できたのだから、君の役人人生は幸せだなあ」といわれた。2005年3月、法務省退任のあいさつで訪れた検事総長(当時)から、「坂中さんのやられたことは入管の歴史そのものだった」と過分の評価をいただいた。

入管時代、誰もが恐れて手をつけない課題に挑んだ。それが幸いした。競争相手がいなくて自由自在の活躍ができた。

どれもが難問中の難問であったので問題の解決まで気の遠くなるような年月がかかった。たとえば移民国家構想について言えば、前述の坂中論文以来ライフワークとしてその実現に執念を燃やしてきたが、ようやく昨年、人口秩序の崩壊の危機という日本存亡の危機の深まりによって、千年来続いた移民鎖国の禁忌が解かれた。

今の私の心境は、移民政策に関する理論的研究の成果を駆使し、身に余る大役である移民国家の設計者の重責をはたす決意である。残念ながら平成時代の日本に移民国家大綱を立案する能力と覇気がある専門家は私以外にいない。将来の日本国民に対する責任を一身に引き受ける。

タブーと闘った人生を振り返ると、世の中に波乱を巻き起こし、エキサイティングな体験をさせてもらった。夢を追い求める孤高の人生に悔いはない。

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