外国人材交流推進議員連盟

坂中提案

2017年2月の朝日新聞で「移民50年間1000万人」の坂中構想を公にしたときから、政治が「移民開国」を早く決断してほしいと願っていた。2007年当時、海外から改革に消極として「日本売り」がさかんに言われていたが、移民開国こそが究極の日本改革であり、国際社会は「世界に開かれた日本」を歓迎し、「日本買い」へ向かうだろうと考えていた。取材で訪れた外国メディアの人たちも、長期的には人口秩序の全面崩壊のおそれすらある日本が「移民鎖国」を続けているのを不思議がっていた。

そんな中、私は2008年2月、人口減の日本の未来は外国人材の導入にかかっていると考える自民党の国会議員約80人が参加した「外国人材交流推進議員連盟」(中川秀直会長)の第1回勉強会の講師に呼ばれた。私の思いを政治家に伝えるため十分練ったスピーチ原稿「日本国の百年の計を立てる時が来た――外国人材交流推進議員連盟の発足に当たって」を用意し、スピーチに臨んだ。私はスピーチの結びで、「日本国の百年の計を立てる時を迎えて、日本の行く末を真剣に考える政治家が結成した新議員連盟が、『移民国家日本プロジェクト』を推し進める機関車の役割を果たすことを期待してやまない」と、檄を飛ばした。このスピーチ原稿は出席の国会議員に配布された。

つづいて同年3月に同議連が開催した第2回勉強会でも講師役を務め、「移民受け入れに舵を切るとき」という表題のスピーチ原稿を作成し、日本独自の「育成型移民受け入れ制度」を提案した。その中で、なぜ「外国人労働者」ではなく「移民」なのかについて、「国家の構成員(国民)が減ってゆく国のとるべき外国人政策は、将来国民になってもらう外国人を確保する『移民の受け入れ』しか考えられない」と強調した。

私の移民受け入れ提案に対して出席の国会議員から多くの質問や問題提起が出された。しかし、移民受け入れに反対の意見はまったく出なかった。逆に、外国人材の受け入れの拡大を求める意見が目立った。このとき持論の日本型移民政策について手応えを感じた。

同議連は合計7回の勉強会を立て続けに開き、真剣な議論を行って、同年6月、移民立国で日本の活性化を図る立場から「日本型移民政策の提言」をとりまとめ、公表した。さらに、この提言は自由民主党国家戦略本部「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」が取り入れ、最終的には「人材開国!日本型移民国家への道」という名の報告書が当時の福田康夫首相に提出された。そのとき福田首相は同議連幹部に対し、「検討する必要がある」と述べられたと聞いている。こうして日本の外国人政策史上初めての包括的な移民政策が政治の舞台に躍り出た。

移民政策は日本の国の形を決める国家政策の最たるものである。国家主権の行使の典型とされる移民政策を立てるのは、本来政治家のやるべき仕事だ。ただし、「日本型移民政策の提言」の原案は、法務省入国管理局で移民政策一筋の道を歩んだ坂中英徳元東京入国管理局長が、人口崩壊の危機にある祖国を救う起死回生の策として筆をとったものである。先見の明のある政治家から頼まれ意気に感じ、日本型移民国家大綱案を一気に書き上げた。

むろん、それをどのように使うかは政治家の判断である。幸運にも、革命的な移民政策に理解のある中川秀直衆議院議員(当時)と中村博彦参議院議員(当時)の勇断があって、「日本型移民政策の提言」は自民党が取り組むべき政治課題に浮上した。11年前の日本政界には、タブーに挑戦する豪胆な政治家がいたのである。後世の歴史家は、この政策提言:「人材開国!日本型移民国家への道」を、日本を移民国家へ導いた画期的政策提言と日本移民政策史の冒頭で紹介するであろう。

ちなみに、2008年6月19日の『ジャパンタイムズ』は、「革命的な移民政策が政治課題にのぼる」のタイトルで、前記自民党議連がまとめた「日本型移民政策の提言」に関する賛否両論の識者の見解を載せた。ジャパンタイムズの記者はリポートの結びで、革命的な移民政策の原案を書いた元東京入国管理局長を次のとおり紹介した。

〈坂中英徳は過去のすべての革命に対する批判と同様の批判は甘んじて受ける覚悟であ る。坂中の移民国家構想は日本を根底から揺り動かし、それが実現すれば日本の歴史的 な第一歩になるだろう。
坂中はいう。「明治維新は外国人に国を開いた第一の開国だった。今われわれは第二の開国の扉を開けようとしている。」〉

以上のとおり、自民党議連と私の連携プレーで歴史的成果をおさめることができた。それが私の自信になった。その成果物は私と自由民主党をつなぐ知的共有財産になった。

この政策提言を土台として移民国家の理想像の理論構築に精進し、『日本型移民国家への道』(東信堂、初版2011年、増補版2013年、新版2014年)、『日本型移民国家の世界的展開』(移民政策研究所、2018年)など、日本の歴史を動かすことを意図した著作を多数ものにした。
 

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