外国人材交流推進議員連盟と私

坂中提案

 私は2008年2月、日本の将来は外国人材の導入にかかると考える自民党の国会議員約80人が参加した「外国人材交流推進議員連盟」(中川秀直会長、中村博彦事務局長)の第1回勉強会の講師に呼ばれた。

 移民国家日本への熱い思いを政治家に伝えるため、十分練ったスピ―チ原稿「日本国の百年の計を立てる時が来た―外国人材交流推進議員連盟の発足に当たって」を用意し、スピ―チに臨んだ。その結びで、「日本国の百年の計を立てる時を迎えて、日本の行く末を真剣に考える政治家が結成した新議員連盟が、『移民国家日本プロジェクト』を推し進める機関車の役割を果たすことを期待してやまない」と檄を飛ばした。

 続いて同年3月に開催された第2回勉強会でも講師役を務めた。「移民受け入れに舵を切るとき」の表題で、日本独自の「人材育成型移民受け入れ制度」を提案した。その中で、なぜ「外国人労働者」ではなく「移民」なのかについて、「国家の構成員(国民)が減ってゆく国のとるべき外国人政策は、将来国民になってもらう外国人を確保する『移民の受け入れ』しか考えられない」と強調した。
 
 私が提案した「移民1千万人構想」について出席の国会議員から多くの質問や問題提起が出された。しかし、移民の受け入れに反対の意見は出なかった。逆に、外国人材の受け入れの拡大を求める意見が大勢を占めた。その時、持論の日本型移民政策への確かな手応えを感じた。

 同議連は、合計7回の勉強会を立て続けに開き、同年6月、移民立国で日本の活性化を図る立場から「日本型移民政策の提言」をとりまとめ、公表した。

 さらに、この提言は自由民主党国家戦略本部「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」が取り入れ、最終的には「人材開国!日本型移民国家への道」という名の報告書が当時の福田康夫首相に提出された。こうして日本の外国人政策史上初めての体系的な移民政策が政治の舞台に躍り出た。

 移民政策は日本の国の形を決める国家政策そのものである。言うまでもなく国家政策を立てるのは政治家の仕事だ。しかし、実は、「日本型移民政策の提言」の素案は、法務省入国管理局で移民政策一筋の道を歩んだ坂中英徳が、人口危機の日本を救う起死回生の策として書いたものである。元行政官が出すぎたことをしたとしかられるかもしれないが、先見の明のある政治家から頼まれ、自然の成り行きで先駆者の役割をはたす立場になったということである。

 むろん、それをどう評価し、どのように使うかは政治家の判断である。幸いにも、革命的な移民政策に理解のある中川秀直衆議院議員(当時)と中村博彦参議院議員(当時)とめぐりあい、その勇断があって、私の唱える「日本型移民国家構想」が政治課題にのぼった。
 以上のとおり、自民党議連と私の連係プレ―で歴史的な成果をあげることができた。そのことが私の自信につながった。その画期的な提言文を出発点として移民国家構想の理論的研究をすすめ、『日本型移民国家への道』(東信堂、初版2011年、増補版2013年、新版2014年)など一連の著作を世に問うた。

 なお、2008年6月19日の『ジャパンタイムズ』は、「革命的な移民政策が政治課題にのぼる」というタイトルで、前記自民党議連がまとめた「日本型移民政策の提言」に関する賛否両論の識者の見解を載せた。ジャパンタイムズの記者はリポートの結びで、移民国家構想の原案を書いた坂中英徳を次のとおり紹介した。

〈坂中英徳は過去のすべての革命に対する批判と同様の批判は甘んじて受ける覚悟である。坂中の移民国家構想は日本を根底から揺り動かし、それが実現すれば日本の歴史的な第一歩になるだろう。
 坂中はいう。「明治維新は外国人に国を開いた第一の開国だった。今われわれは第二の開国の扉を開けようとしている」。〉

 外国人材交流推進議員連盟を設立し、日本再生への道を歩まれた中村博彦先生が、2013年7月31日、道半ばにして永眠された。闘魂の政治家との出会いがあり、その引き立てがあって今の坂中英徳がある。

 中村博彦氏の恩義を受けた私は、故人の志を引き継ぎ、日本型移民国家への道をまっすぐ進む。

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