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坂中論文への助走期間

1951年にいわゆるポツダム政令として制定された出入国管理令(昭和26年政令第319号)は、入国者が飛躍的に増加した国際化時代に対応することができなくなっていた。時代遅れになったポツダム政令に代わる新たな出入国管理に関する法律を制定する必要があった。それは当時の法務省の悲願であった。

そこで、政府は1969年から73年にかけて四度にわたって出入国管理令の全面改正法案を国会に提出した。しかし、これらの法案はいずれも審議未了で廃案になった。

これらの法案が廃案になった最大の原因は、在日朝鮮人の法的地位の問題を未解決のままにしておいて、外国人の政治活動に関する規制条項を盛り込んだ新出入国管理法を制定しようというものであったため、在日朝鮮人団体が猛反発したからである。

私はこれらの法案のうち、最後の1973年法案の立法作業に参加した。法案が国会に提出されると、朝鮮民主主義人民共和国を支持する朝鮮総連系の在日朝鮮人らが大挙して法務省に抗議に押しかけてきた。上司の命を受けて入省3年目の私は連日その対応に追われた。攻撃の的になった私にとってそれは衝撃的な経験であった。

私が在日朝鮮人問題とりわけ法的地位問題について真剣に考えるようになったのは、末端の係員として1973年の入管法の改正作業に関わったことが大きいと思っている。当初は法律知識も何もない新米の入管職員であったが、先輩たちが徹夜で甲論乙駁の激論を闘わせているのを聞いているうちに、入管法の全体像と入管が直面する問題点が頭に入った。それは私の知的財産になった。法改正作業が終わった時、私は一人前の見識を持つ入管職員に成長していた。

今から思うと、それは1975年に坂中論文を書くための助走期間であった。