1. TOP
  2. 政策提言
  3. 坂中論文を書いたことを生涯の誇りとする

坂中論文を書いたことを生涯の誇りとする

2000年代初頭、朝日新聞の記者から、「伝説の坂中論文を書いた人はまだ生きておられるのですね」と驚きの眼で見られた。30歳の時に歴史を画する論文をあらわしたからそのような言葉が飛び出したのだろう。

波乱に富んだ人生を生き抜いた私は現在も現役である。74歳の今も移民政策論文をたゆまず書いている。

一篇の論文が一人の国家公務員の一生を決めた。行政官としての直感がはたらいたのだろう。坂中論文を原点に移民政策研究をきわめる道を選択した。タブー視して誰も近づかない原野を独りで開拓する道を選んだ。渾身の力を込めて書いた論文の数々は知識人からも政治家からも無視された。千年来続く移民鎖国のイデオロギーを打ち破るため悪戦苦闘を強いられた。だが、七転び八起きの論文人生は真にエキサイティングなものであったと述懐する。予期せぬハプニングが次々と起きるドラマチックな人生航路であった。

50年の歳月をかけて、「移民1000万人構想」と「人類共同体ビジョン」の旗の下に日本を理想の移民社会へ導くため、一本一本の論文に魂を込めて筆を執った。その結果、世界最高水準の移民国家理論でもって世界の知的世界に打って出るところまできた。

いま現在は坂中移民革命思想に共鳴する人は皆無に等しい。むろん政府の了解を得た考えというわけでもない。しかし、22世紀の移民全盛時代には、移民社会のユートピアを描いた坂中ビジョンに共鳴する人が続出するであろう。

今日では、45年前の『今後の出入国管理行政のあり方について』(坂中論文)を実際に読んだ人はほとんどいないと思われる。もやは「幻の論文」なのだろう。

近年、坂中論文を書く機会に恵まれなかったとすれば私の人生はどうなっていたのか振り返る時がある。おそらく移民政策研究の先駆者の私はなかった。生前に「ミスター入管」「反骨の官僚」「救世主」「革命家」「ミスターイミグレーション」など数々の形容詞をつけられることもなかった。世界の主要国で反移民・人種差別を唱える勢力が勢いを増す中、人類共同体の理想を掲げて立ち上がることもなかった。

老境に入った私は、坂中論文を書いたことを生涯の誇りとしている。日本の移民政策の象徴的存在として本懐を遂げたいと思っている。