坂中論文は千載一遇の機会にめぐり合った

坂中提案

私がどうして人口減少時代の新しい国の形として移民国家の理念を打ち立てることができたのか。その答えは1975年の論文「今後の出入国管理行政のあり方について」(坂中論文)にまでさかのぼる。

坂中論文において「国際間の人口移動」の章を立て、内外の人口動態と経済発展と国際人口移動、それらと出入国管理行政のあり方は密接に関連するとの問題意識から、「我が国の出入国管理の基本政策」「開発途上国から先進国への人口移動」および「不法な国際間の人口移動」について考察した。

坂中論文における国際人口移動に関する論考は、2005 年に役人を辞し、私が本格的に移民政策研究を始める際の出発点になったものである。

1975年当時の私は、「移民」の入国を認めないという我が国の入国管理の基本政策について、日本の人口動向などを勘案して総合的に判断すると、今後も引き続きとるべき政策であると主張した。その理由は次のようなものであった。

〈日本人口は、将来的には安定化の方向にあり、静止人口の可能性があるとはいえ、それでもなお、21世紀初頭までに3000万人近くも増加すると推定されている。現在でも異常な高密度社会の日本において、この3000万人の人口増の圧力は他の諸国とは比較にならない重大な意味を持つものであり、これによって過密状況がいっそう進み、日本社会全般に計り知れない悪影響が及ぶことは否定できないだろう。〉

〈一国の人口変動は出生、死亡及び移住の三つの要因によって生じるが、現在すでに超高密度国である我が国の人口が近い将来にわたって出生が死亡を上回る自然増加の傾向にあることがはっきりしている以上、日本の入国管理政策はこれからますます深刻の度を加える人口問題をこれ以上悪化させないという基本方針に沿ったものでなければならない。〉

日本の入国管理政策は、明治の開国から一貫して、人口過剰を主たる理由として、外国人の定着防止すなわち移民の入国を認めない方針が厳格に守られてきた。私もそれにくみしてきた。

2005年は日本の歴史的転換の年であった。日本の経済と社会の発展を支えてきた人口が減少局面に入ったのである。それも世界の歴史上例のない少子高齢化を伴った人口減で、50年後の人口は今の三分のニに落ち込み、100年後は4000万人台の人口にまで激減するという。

坂中論文から38年が経過した今日、人口構造が増加から減少へ百八十度転換したことを受けて、私は「移民拒否」から「移民歓迎」へと発想を転換した。このコぺルニクス的転回は坂中論文の論理必然的帰結であると考えている。

結果的に坂中論文を発想の原点として人口危機時代の要請にこたえる移民国家構想を示すことができた。坂中論文は千載一遇の機会にめぐり合ったというべきである。坂中英徳は転向したという批判は甘んじて受ける。

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