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坂中論文が北朝鮮帰国運動に引導を渡した

朝霧

1977年に発表した『今後の出入国管理行政のあり方について』(坂中論文)の「在日朝鮮人の処遇」の章において北朝鮮帰国運動の終焉の可能性について大きくページを割いて言及している。

「在日朝鮮人は特別の理由のない限り地縁・血縁関係が希薄で社会・経済体制が異なる本国に帰る可能性は少ないということである。この点については、いわゆる『北朝鮮帰還事業』による帰還希望者が最近は極度に少なくなっていることからも確認できる」

「『日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間における在日朝鮮人の帰還に関する協定』(昭和34年締結)に基づき昭和34年から同42年までの間行われた北朝鮮帰還事業により88、611人の在日朝鮮人が朝鮮民主主義人民共和国に帰還したが、昭和46年にこれが再開された後の帰還者数をみると、同46年237人(うち日本人随伴者4人)、同47年1、003人(同22人)、同48年704人(同30人)、同49年479人(同11人)、同50年379人 (同28人)、同51年256人(同20人)と年々減少し、ここ2、3年における帰還者数は極めて僅かとなっている」

「日本社会で長い間苦労して生活の基盤を築き、本国との諸関係が疎遠となった在日朝鮮人にとって、本国で一からやり直すということは、相当な覚悟を要することであろう。日本で生まれ、朝鮮語が分からず、日本文化の影響を強く受けた世代にとっては一層そうであろう。また、我が国とは社会経済体制が異なる朝鮮民主主義人民共和国への帰国については、資本主義的な日本の生活に慣れた在日朝鮮人が社会主義朝鮮の生活になじむのは容易ではなく、また帰国した青年男女が適齢期を迎えても結婚の相手をみつけることがむずかしいとも伝えられており、これは重大な決意を要することであろう」

以上の私の見解に対して、朝鮮総連の機関紙『朝鮮時報』に「坂中英徳という入管の役人はけしからん。我々は共和国の海外公民で、いずれ共和国に帰るのだ。我々が日本に定住するとは何と言うことを言うのだ」という反論記事が一面トップで掲載された。

しかし、それから5年後の、1982年の入管法改正によって特例永住許可制度が導入されると、真っ先に永住者の資格を取ったのは朝鮮総連系の人たちであった。初年度だけで20万人ほどが永住申請をした。最終的には30万人近い朝鮮籍の人が永住者の地位を取得した。

それは「日本に永住する」という朝鮮総連系のコリアンの意思表示にほかならない。そして1984年をもって北朝鮮帰国運動は終焉を迎える。

1975年の坂中論文からこの方、北朝鮮帰国運動で北朝鮮に渡った在日朝鮮人と日本人随伴者がこうむった苛酷な運命を片時も忘れることはなかった。北朝鮮で「籠の中の鳥」のような状況に置かれている彼ら、彼女らを解放するため、私に何ができるかをいつも考えていた。

長い時間を要したが、2014年5月の日朝政府間合意で北朝鮮帰国運動の最も悲惨な犠牲者である「日本人配偶者」の祖国への帰国の道が開かれた。