坂中論文から40年

坂中提案

 1975年3月、法務省入国管理局が、「今後の出入国管理行政のあり方について」という課題で職員から論文を募集した。この年、出入国管理行政発足25周年を迎えることを記念して行われた行事の一環だった。

 この論文募集に若輩の私も応募した。そして、審査の結果、私の書いた論文が優秀作に選ばれた。記念論文の審査委員長を務めた竹村照雄氏(当時法務省入国管理局次長)の選評が私の手元にある。身に余る評価をいただいた。その時、私の進む道は決まった。以後、移民政策研究一筋の道を行くことになる。

〈第一部優秀作の坂中論文は、その視点において、その構想において、その論証において、まことに見事なものであり、「二十五周年記念」とするに全くふさわしい内容というべきであった。審査員全員が一致してこれを優秀作に推したのである。出入国管理行政を世界史的な変化発展の中で位置づけ、外国人の人権保障への明確な意識と国益との調和を目指して将来を展望し、しかもいたずらに理想に走ることなく、絶えず足下現実の問題に即し、これに立ち返りつつ議論を進める態度は、その考察の基礎となっている資料の豊富さとともに、力強く迫るものがあった。〉

当時を振り返ると、私は運がよかったのだと思う。上司の中に竹村照雄氏のように高い見識と鋭い問題意識を持った人物がおられたのである。坂中論文は最高の行政官に見いだされて無事誕生した。しかし、その後の歩みは、順風満帆というわけにはいかなかった。世間の猛烈な荒波にもまれる波瀾万丈の未来が待っていた。

 竹村氏のすすめで論文が公にされるや、在日韓国・朝鮮人問題を考えるうえでの古典的文献と評価される一方で、20年近く研究者や活動家の間で賛否両論の激論が闘わされることになった。

 坂中論文で述べた私の考えは、執筆から40年がすぎたいまも、基本的に変わっていない。論文で提案した政策提言は次々と実現した。残された究極の課題が世界の先頭をゆく移民国家の創立である。

 老い先の短い私は坂中論文がたどった激動の歴史を回想することが多くなった。坂中論文と共にあった人生の幸せをかみしめている。幸運の星の下に生まれた坂中論文は天寿を全うし、いま劇的な一生を終えようとしている。

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