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坂中構想が政府部内で容認された

法務省時代の私は「火中の栗を拾う」危険な仕事に率先して取り組んだ。1970年に法務省入国管理局に採用されたとき、将来まさか難問中の難問の移民問題と死闘を演ずる人生が待っているとは夢にも思っていなかった。

そうは言っても、早くも入省5年目の1975年に書いた坂中論文において、在日朝鮮人問題、北朝鮮帰国者問題、難民問題、国際人口移動問題(移民問題)など、誰も語ろうとしなかった政策課題について問題提起を行っている。いま思うと、それが飛躍への第一歩であった。それ以後、移民政策の立案は私の独り舞台の時代が今日まで続く。そして、自分の心のままに躍動した。無人の世界を独立自尊の精神で独走した。

法務省退職後は民間の研究機関・移民政策研究所を設立。世界をリードする移民国家理論の創作に意欲を燃やしている。そして移民政策をめぐる世界情勢が激動する2018年のいま現在。移民国家の象徴である米国を始め移民先進国で排外主義が台頭するなか、私は移民国家の新モデルとして人類共同体構想を提案している。その斬新なアイディアはすでに英語論文「Japan as a Nation for Immigrants :A Proposal for a Global Community of Humankind」(移民政策研究所、2015年)によって世界の知識人の間に広がりつつある。この論文でもって、世界の移民政策が反人道主義の方向に暴走しないよう、しっかりブレーキをかけたいと思っている。

ここから話題が一変する。以下において私がかつて属した霞が関の官僚たちの生態の一端を紹介する。

概して移民問題に対し「官僚が政治の領分に立ち入ると危ない」という空気が支配的であった法務省など政府部内において移民1000万人構想を積極的に支持する土壌はなかったと認識している。そうかといって移民反対の意見を主張するほど、それに反論することに熱心な役人もいなかったのである。自由な発想・発言が許されない官僚世界からは絶対出ない大胆極まる政策提言であったが、政府部内から批判の声は上がらなかった。官僚時代の「ミスター入管」および「反骨の官僚」の勇名がプラスに働いたのかもしれない。ないしは、移民政策に詳しい元入管職員が立てた政策提言は官僚文化を共有する政府高官たちの頭にすんなり入ったのかもしれない。

私は法務省を退職後も公僕としての矜持を持ち続けてきた。国家の基本制度の護持を旨とする新国家構想が官僚たちの共感を呼んだのかもしれない。あるいは、坂中構想に対して政界から積極的な反対意見が出ないと明らかになって政府高官たちに安心感を与えたのかもしれない。世の中の空気を読み、機を見るに敏なのが官僚である。

そうなると不思議なもので、政府中枢の高官たちが積極的に取り組む気がなかった一大国家プロジェクトでも、それが独り歩きして政府の方針へと発展することもあるのだ。つまり、坂中英徳の頭にひらめいた革命的な移民国家のアイディアは、人口危機が深まる時代の要請にこたえる移民国家ビジョンとして政府部内で容認されたのである。

それを証明するものがある。2015年6月、内閣官房の高官たちが私を講演に呼んでくれたのだ。当時、四面楚歌の状況の下に置かれていた私は彼らの芳情に感激し、「日本型移民国家への道」の演題で一世一代の講演を行った。政府高官たちは私の話に真剣に耳を傾け、移民法の制定と移民協定の締結を二本柱とする移民国家構想を「グッドアイディア」という異例の好意的な表現で評価してくれた。そのとき私は、政府の中枢部門に移民政策のくさびを打ち込むのに成功したと思った。

以下は2018年8月現在の私の現状認識である。本年6月、閣議決定された「骨太の方針」において政府は外国人材の受け入れ促進の方針を打ち出した。一定の基準を満たす者の日本永住と家族の帯同を認める事実上の移民政策への転換である。陰ながら私の活躍を見守ってくれた霞が関の後輩たちが移民政策を推進する立場へと大きな第一歩を踏み出した。日本の政治を実質上動かすシンクタンクが私の味方についた。これで移民国家日本の発展を支える国家制度が確立されると確信した。