坂中構想が政府部内で容認された

坂中提案

法務省時代、タブーとされる危険な問題にばかり首を突っ込んだ。1970年に入管に入ったとき、将来、まさか移民問題と格闘することになるとは思ってもいなかった。だが、当初から、在日朝鮮人問題、北朝鮮帰国者問題、興行入国者問題など、誰も手をつけようとしなかった課題に取り組んだ。それが幸いした。政策立案は私の独り舞台に終始し、自由自在の活躍ができた。無人の世界を独立自尊の精神で独走した。

退職後は民間の研究団体・移民政策研究所を設立し、移民国家の最高峰の創作に意欲を燃やしている。そして2016年。米国を始め移民先進国で排外主義が台頭する中、私は移民国家の新モデルとして人類共同体構想を提案している。そのアイディアはすでに英語論文『Japan as a Nation for Immigrants』(移民政策研究所、2015年)となって世界に発信されている。この論文でもって、世界の移民政策が反人道主義の方向に暴走しないよう、ブレーキを掛けることができればと念願している。

さて、以下に霞が関の官僚たちの生態の一端を述べる。概して移民問題に対し「さわると危ない」という空気が支配的であった法務省など政府部内において坂中移民政策論を積極的に受け入れる土壌はなかったと認識している。だが、そうかといって強い反対意見を述べるほど、それに反論することに熱心な役人もいなかったのである。元入管官僚が立てた移民政策に対して政府部内から批判の声は一切出なかった。要するにそれは、声を大にして言い続けた坂中提案が官僚の世界で消極的に首肯されたことを意味する。

そうなると不思議なもので、官僚たちが積極的に取り組む気がなかった一大国家プロジェクトでも、それが独り歩きして政府方針に発展することもあるのだ。つまり、日本型移民国家構想は明らかに坂中英徳ひとりの見解であったが、時代の要請にこたえた坂中構想は政府部内で容認されたのである。陰ながら私の活躍を見守ってくれた霞が関の後輩たちが一斉に重い腰を上げた。私にとって待望の援軍の登場である。

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