在日韓国・朝鮮人の法的地位の変遷

坂中提案

1952年4月28日の日本国との平和条約の発効により日本の国籍を離脱した者で、1945年9月2日以前から引き続き日本に在留しているもの及び1945年9月3日から1952年4月28日までにその子として日本で出生し引き続き日本に在留しているものの法的地位については、日本国との平和条約の発効の日に施行された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和27年法律第126号)第2条第6項の規定により、「別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」とされた。

その後、これら平和条約国籍離脱者及びその子孫の法的地位に関し、1966年に在日韓国人の一世及び二世を対象とする「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和40年条約第28号。以下「日韓法的地位協定」という。)に基づく協定永住許可制度が、1982年に在日朝鮮人と台湾人を含めたすべての者を対象とする特例永住許可制度がそれぞれ設けられた。

しかし、これらの制度はいずれも、その時々の時代背景と国際政治情勢の下でとられた措置であって、平和条約国籍離脱者とその子孫を包括的に対象とし、同一の法的地位と待遇を与えるものではなかった。

すなわち、協定永住許可制度は、韓国との国交の回復を契機として日本に居住する大韓民国国民に限って日韓法的地位協定に基づく永住を許可するものであり、かつ、在日韓国人の三世以下の法的地位については今後の協議対象としていた。特例永住許可制度は、平和条約国籍離脱者及びその子孫のうち協定永住許可の対象とならなかった者等に対し、日本に引き続き在留していることを条件として、申請に基づき法務大臣が入管法上の永住許可を与え、その法的地位の安定を図ることを目的とするものであった。

その結果、在日韓国・朝鮮人の法的地位は、外国人の地位で日本に居住するに至った歴史的事情はまったく同じであるにもかかわらず、協定永住者、いわゆる法126-2-6該当者、さらに入管法上の「永住者」「日本人の配偶者等」「永住者の配偶者等」もしくは「定住者」の在留資格を有する者というように種々に分かれていた。

「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(平成3年法律第71号。以下「出入国管理特例法」という。)は、その後の内外の諸情勢の変化並びに日韓法的地位協定に基づく日本国政府と大韓民国政府との協議結果を踏まえ、日本国との平和条約の発効により日本の国籍を離脱した者とその子孫の全体に対して「特別永住者」の資格を付与するとともに、特別永住者の退去強制、再入国許可の有効期間など出入国管理に関する特例を定めたものである。

この法律の制定により、長年の懸案であった平和条約国籍離脱者とその子孫の法的地位は特別永住者に一元化されるとともに、在留外国人の法的地位としては世界にも例のない安定した地位が保障されることとなった。

出入国管理特例法は、1991年4月26日に成立し、5月10日に公布され、11月1日に施行された。

1975年の坂中論文以来、在日韓国・朝鮮人の法的地位問題の解決に尽力した私にとって、入管法が誕生した日から40年目にあたる、この「1991年11月1日」は生涯忘れられない日となった。

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