単一色の濃い民族は地球時代を乗り切れない

坂中提案

ほぼ単一民族から成る国民が一丸となってがんばり、日本は世界有数の経済大国にのぼりつめた。しかし、21世紀に入ってから、経済の凋落と国勢の衰えが目立つ。かてて加えて政治と行政の劣化が誰の目にも明らかになった。

その根底に人口危機の問題があることは確かだが、それだけではない。同文同種の日本人のみで政治・経済・社会を運営する体制にガタがきたのではないか。地球時代に入り、大局的・多角的な視点から森羅万象を見ることができない純種系民族の弱みが出てきたのだと思う。

日本の人口問題は日本人の数の激減にとどまらない。量の問題よりももっと深刻な質の問題がある。政治を筆頭に、行政、経済、教育、学術、ジャーナリズムなどの各分野で優秀な人材が枯渇しつつあることだ。ここにその何よりも雄弁な証拠がある。

まさにいま現在、人口崩壊という未曽有の国家的危機に臨み、時代は日本国の根本的変革を志す革命家を必要としている。しかし、天下国家のことを考える日本人、将来を見通す日本人、地球的視野で考える日本人が日本のどこを探してもいないのだ。

帝国主義の黄金時代であった幕末から明治にかけての激動の時代、西洋列強による植民地支配の脅威と戦う侍が輩出した。当代の日本も国家と民族の生き残りがかかる革命の時代である。それなのにどうして平成の世には国家的危機を救うサムライが現れないのか。

ただでさえ均質性の高い民族であるのに、それに輪をかけた画一化教育で育った政治家、官僚、経営者など日本のパワーエリート層は、優等生タイプの人物、野性味に乏しい人物、闘争心に欠ける人物が多いのではないか。また、当代の日本人は大勢順応型の常識人が多数派を占めていることも否定できない。

さらに言えば、今日の世界は地球上を舞台に大量の核兵器を保有する米国、ロシア、中国の核超大国がしのぎを削る時代に入ったが、島国に取り残された単一色の濃い民族のままでは、たとえば宇宙船地球号の乗組員の視点から核戦争の脅威にさらされている世界を客観的に見ることができない。

生物の世界では純種よりも雑種ほうが生命力があるとされる。交雑によって品種も改良される。人間の世界も同じである。新しい民族の血が絶え間なく入る多民族社会のほうが民族の純血性を誇る社会よりも生きながらえる確率が高いのではないか。また、物事を単眼で見る国民よりも複眼で見る国民のほうが視野も広く、地球上で適者として生き残る可能性が大きいのではないか。

地球時代の日本の生存をかけて、世界の諸民族を移民の地位(将来の国民)で迎え入れ、国民の構成を一段と多民族化させなければならない。1000万人単位の将来の国民を受け入れ、多彩な顔を持つ国民に変身する必要がある。

「移民」を起爆剤として、異なる文化を取り入れる社会、異色の人材や異端者を受け入れる社会、多様性に富んだ民族文化が栄える社会、地球市民の発想で世界に乗り出す人材が続出する社会に生まれ変わるのである。

学問・芸術はもとより芸能、スポーツ、料理、教育、都市の魅力、外国人観光客の誘致、組織運営・企業経営の活性化、政治・行政のたて直しなどあらゆる面で、国民を構成する民族の多様性はプラスに働くと考えている。

さらにいえば、移民鎖国で先祖代々の日本人が社会の成員の100%近くを占める「単一民族社会」は淡彩画の単調な世界ではないか。意外性やおもしろみに欠ける面があるのは否めない。他方、移民開国で地球上の民族が勢ぞろいした「多民族社会」だと、それぞれの民族が持つエネルギーぶっかって化学反応を起こす「ダイナミックな世界」への展望が開ける。魚、貝、肉、野菜、きのこ、香辛料などいろいろな食材が入ったなべ料理が多彩な素材がしみこんで風味の増す味になるのと同じように、言葉も文化も考え方も違う人々が集まる多民族社会は各民族が持ち味を発揮する「多士済々の世界」への夢がふくらむ。突然変異で天才や異才が現れる楽しみもある。

多民族社会における日本料理は、いろいろな民族の料理のエキスが加わっていっそう味わいの深いものになるであろう。

 

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