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青雲の志を抱く法務事務官


 
1970年代初頭、在日朝鮮人をどのように処遇するかについて、法務省内には二つの考えがあった。

一つは、在日朝鮮人が暫定的な法的地位で在留する現状をそのままにしておけばいいというもの。在日朝鮮人に対し外国人としての安定した法的地位を保障し、日本国民に近い待遇を与えると、外国人の地位に満足し日本に帰化しないようになる。在日朝鮮人が外国人の集団として未来永劫にわたって日本に居住することになれば、治安に及ぼす影響、朝鮮半島との関係その他の理由から好ましくない。それよりも不安定な状態のままにしておいて、本国に帰るか、日本に帰化するかを在日朝鮮人自身に決めてもらうのが得策というもの。

もう一つは、在日朝鮮人が日本社会に定着している実態に即し、外国人としての法的地位を速やかに安定させ、限りなく日本国民に近い処遇をするのが望ましいというもの。そのような優遇された法的地位と待遇が与えれば、在日朝鮮人は自発的に日本に同化(帰化)するようになり、治安上その他の問題を引き起こす存在ではなくなるというもの。

1970年代初頭の行政内部において前者の考えが支配的であったが、駆け出しの法務事務官は後者の考えの急先鋒だった。青雲の志を抱く私は、当時の上司(参事官、課長補佐、係長)に連日議論を吹っかけた。私の上司は心の広い人たちで、生意気な若者と真剣に議論し、厳しく鍛えた。在日朝鮮人とはどういう存在なのか、入管組織が抱える問題点は何かなどについて学んだ。そこでの議論が1975年の坂中論文として実を結ぶ。

1970年代の入国管理局には今後の入管行政のあり方について自由闊達に議論することを是とする空気が支配的だった。当時の入管は誕生して間もない若々しい役所であった。そのような環境の下で入管の進路を決める「坂中論文」が産声を上げる。