ドンキホーテ型の夢想家?

坂中提案

移民国家への道のりを振り返ると、1000本を超える移民政策論文を公にしたが、その努力が報われない日々が続いた。よく心身ともに元気で今日まで活躍できたものだと思う。じょうぶな健康体を産んでくれた母親に感謝する。

1977年にいわゆる「坂中論文」を発表するや批判が殺到したが、それに耐え抜いたことで強靭な精神力が身についたのだろう。同時に、タブーとされる問題に一人で立ち向かう負けじ魂の持ち主になったのだろう。

2005年4月、私は民間人としてのスタートを切るのにあたって、「法務省を退職後はボランティアとして移民政策の研究に専念する」と妻子に伝えた。そのとき、それまで私の仕事を黙って見守ってくれた家族から、「お父さんはできもしない無謀なことばかりやっている」と言われた。身近で見ていると、実現不可能な夢を追いかけているように見えるのだろう。

それは、冷徹な官僚と呼ばれたリアリストの心にあるロマンチストの一面を衝いている。およそ天下国家のことに挑戦する人間は現実主義と理想主義の両面を兼ね備えているのだと思うが、私の体内にはドンキホーテ型の夢想家の血が大量に流れているのかもしれない。

私の著作物の大半は、政策論文という性格上、ロマンチストの要素とリアリストの要素のふたつが化学反応を起こして成立したものである。ロマンチストの目で100年先を展望するユートピア計画を立てた。リアリストの目で現実を直視し、広い視点から当面する最重要課題の解決策を提示した。学者の書く論文とくらべると、長期的かつ理想的なスタンスで問題の本質をとらえる傾向が強いと言えるのかもしれない。

私は信念を曲げない頑固者である。移民政策一本の直球で勝負した。日本の未来をつくるロマンを追い求めた。天の時を得て試合の流れを変える逆転満塁ホームランのような論文を発表する離れ業を演じることもあった。

とりわけこの5年間は、移民政策論文を書くのを日課とし、移民政策研究所のウェブサイトに力作を投稿してきた。総計1000本に及ぶ小論文がネット上を駆け巡った。一本一本の論文を積み上げた結果、その全体が移民政策を推進する一大パワーに成長し、日本人の根深い移民拒否感情をくつがえした。坂中移民政策論の影響は深く広範囲に及び、時代を動かす勢いに乗った。坂中英徳の単独意見に過ぎなかった移民国家構想が日本の若者の心を奪ったのである。時代は、18~29歳の若年層の60%が移民政策に賛成という新しい局面に入った(2017年3月21日の日本経済新聞の「若年層の6割が賛成」)。

「移民政策はとらない」と公言する政府首脳も、若い世代の間に澎湃として盛り上がった移民受け入れ賛成の声には逆らえないから、移民開国は時間の問題であると、私は現下の情勢を認識する。少子高齢化時代を生きる若者が待ちこがれる移民国家への転換は歴史の必然であって、移民国家日本は生まれるべくして生まれるのである。

移民開国を決断して日本の若者の心を絶望から希望に変えれば、時の首相は名宰相として日本の歴史に刻まれるであろう。若者の心をないがしろにした政治家の末路については言わずもがなである。

 

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