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アエラ現代の肖像――「坂中英徳は何者か」

『AERA』(2018年12月17日号)の「現代の肖像」に坂中英徳移民政策研究所所長を紹介する記事が載った。大平誠氏が熟慮して書いた名文である。長年業績が論評の対象に上らなかった坂中英徳に初めてスポットを当てた先駆的文章と言ってもいいのかもしれない。国会で移民政策議論が始まったばかりのタイミングで出たこの人物論は、各方面に大きな影響が及んだと思われる。
  
以下に、特に印象に残った箇所を抜き出す。「坂中英徳は何者か」を知る一助となれば幸いである。

〈法務省入国管理局、通称ニュウカン。業務拡大に伴い、来春から庁に格上げされる出入国管理行政の窓口は、大きく変わろうとしている。さながら移民鎖国の堅牢な門の鎖を外し、移民を受け入れるための港を開こうとしているようだ。「空気を読まない」信念で在日韓国・朝鮮人の法的地位を安定させ、「ジャパゆきさん」を絶望の淵から救い出した異色のキャリア官僚だった坂中英徳(73)の眼には、港の先の街並みまで見えている。〉

〈坂中は1975年、入国管理局創設25周年記念の懸賞論文「今後の出入国管理行政のあり方について」で優秀作に選ばれ、その名を知られるようになる。今なお「坂中論文」として語り継がれるその骨子は、当時64万人以上いた在日韓国・朝鮮人の法的地位を安定させ、就職や教育、入居差別を撤廃し、民族名などアイデンティティーを維持しつつ日本国籍を取得しやすい環境を整えようというものだ。しかし、77年の自費出版で公になったこの論文に対し、当時の在日本大韓民国居留民団(民団)や在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮連合)をはじめ、運動団体や進歩的文化人らは噛み付いた。
「同化政策のいっそうの推進」「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への帰国の道を閉ざす」
 実際の論文の原点は、正義感の強い若者の純粋な憤りだった。入省翌年の4月、25歳のころだった。坂中が振り返る。
「大阪入国管理事務所(当時)で半年間実務研修をしたんです。ノンポリの学生でなんとなく公務員になった私は、外国人といえば金髪碧眼の西洋人をイメージしていたのに、窓口で対面する外国人のほぼ全員が在日韓国・朝鮮人であることにまず驚きました」〉

〈この論文をきっかけに坂中は課長補佐時代の81年、法改正を任された。ポツダム宣言による命令で規定されていた出入国管理令から、82年1月1日に「出入国管理及び難民認定法」とタイトルを改めた法律がそれである。差別に耐えかね「地上の楽園」たる北朝鮮へ「在日」たちが次々に渡った帰還事業は、この法改正で終焉を迎えたに等しかった。〉

〈原点の坂中論文誕生から四十余年。当時は舌鋒鋭くその内容を批判していた民団中央本部事務総長の徐元喆は、今では坂中の良き理解者だ。徐が言う。
「『在日』という言葉自体、反抗といたたまれない気持ちがない交ぜになった2世が70年代に使い出した言葉です。坂中論文は現場の感覚をそのまま表現したもので、余計に心に刺さった。純粋なんですね。その坂中さんが手がける移民政策は究極のミッションでしょう。明治以来150年のスパンで見ると、稀有な存在ですよ。よくこんな人が生まれたなと感心します」〉

〈これまで「日本が移民政策をとることは断じてない」と言い続けた首相の安倍晋三は今年6月、中小規模事業者の人手不足解消のため外国人を幅広く受け入れることを発表した。自民党総裁3選のために支持層に配慮して実質的な移民政策に舵を切った格好だ。
「議論なしでは意味がない。移民政策という歴史的な決断は、選挙の争点にして国民の信を問うべきです。国民が自らの責任において、世界にも類を見ない新しい国づくりに踏み出すためには、何年かかってもいいと思います」
 カネも名誉もお構いなし。反骨の官僚、坂中英徳の信念が、新時代の扉を開く。〉