大きな夢を追い求めるロマンチスト
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移民国家への道のりを振り返ると、2000本を超える移民政策論文を公にしたが、その努力が報われない日が続いた。心身ともに健康で76まで生きてこられたのは奇跡としか言いようがない。1977年に「坂中論文」を発表すると批判が殺到したが、それに耐え抜いたことで強靭な精神力が身についたのだろう。同時にタブーとされる問題に一人で立ち向かう負けん気魂の持ち主になったのだろう。
私は2005年4月、民間人としてのスタートを切るのにあたって「法務省を退職後はボランティア活動家として移民政策の研究に専念する」と妻子に伝えた。そのときそれまで私の仕事を黙って見守ってくれた家族から「お父さんはできもしない夢みたなことばかり考えている」と言われた。身近で見ていると、実現不可能な夢を追いかけているように見えるのだろう。
それは在日朝鮮人社会から「冷徹な官僚」と呼ばれたリアリストの心にあるロマンチストの一面を衝いている。およそ天下国家のことに挑戦する人間には現実主義と理想主義の両面があるのだと思うが、私の体内にはドンキホーテ型の理想主義者の血が大量に流れているのかもしれない。