すべての日本人の北朝鮮からの帰国を待っている

坂中提案

 以下は、12月14日に開催した「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」(第6回)で採択し、安倍晋三首相に提出した要請文「すべての日本人の北朝鮮からの帰国を待っている」の全文である。

         内閣総理大臣 安倍晋三様

         すべての日本人の北朝鮮からの帰国を待っている

 5月の「日本と北朝鮮の政府間合意」に基づき、北朝鮮にいる「日本人配偶者」と「残留日本人」が帰ってくることが決まった。
 これは戦後の日朝関係史における画期的な出来事である。この5年間、北朝鮮で生きている日本人妻、残留日本人の一刻も早い帰国を日本政府と北朝鮮政府に求めてきた私たちにとって感に堪えないものがある。
 一般社団法人移民政策研究所は、平和を願い行動する僧侶の会の協力を得て、北朝鮮帰還事業開始から50年目の2009年12月14日、新潟港において帰国運動の犠牲者の霊の平安を祈る追悼法要をいとなむとともに、今も北朝鮮に幽閉されている日本人妻らを含む帰国者全員の解放を目指して「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」を開催した。
 私たちは追悼集会で採択した鳩山由紀夫首相(当時)あての要請文「『日本人妻』の帰国を日朝の外交課題に」を中井洽拉致問題担当大臣(当時)に提出した。その中で次のように述べた。
〈現在も北朝鮮に軟禁されている帰国者全員を救出するため、まず「日本人妻」の帰国を日朝間の外交課題にあげていただきたい。この問題を日朝交渉で取り上げれば、膠着状態に陥った日朝関係を打開する糸口にな考えている。人質外交にたけた北朝鮮政府首脳は「日本人妻」を対日外交の切り札として温存してきたので、この話に乗ってくると見ている。〉
 2011年12月14日の第3回「『あの日を忘れない』新潟港追悼集会」では、日本人妻の帰国問題に加えて、北朝鮮残留日本人の引き揚げ問題を提起した。当時の野田佳彦首相あての要請文「北朝鮮にいる日本人妻、北朝鮮残留邦人等の早期救出を求める」の中で、次のように述べた。
〈そもそも北朝鮮帰国者問題の歴史を振り返ると、1954年1月6日、日本赤十字社が北朝鮮の朝鮮赤十字会に電報を打ち、「終戦後も北朝鮮に残留する日本人の引き揚げが許されるならば、その引き揚げ船を利用して在日朝鮮人の帰国希望者の帰国援助をしたい」という日本政府の意向を伝えたことから始まる。このように、当時の日本政府の主たる関心は、在日朝鮮人の北朝鮮への集団帰国ではなく、在北朝鮮の日本人の引き揚げにあった。〉
〈しかし、1959年12月14日から始まった北朝鮮帰還事業により在日朝鮮人の北朝鮮への帰国は実現したが、在北朝鮮日本人の帰国は、1956年に36人が帰ってきた以外に、実現することはなかった。その後は、日本政府が北朝鮮残留邦人の救出に動くこともなく、多数の日本人が北朝鮮に取り残された。〉
〈野田佳彦首相に緊急の提言がある。現在も北朝鮮に閉じ込められている日本人妻、北朝鮮残留日本人を救い出していただきたい。〉
 前述の日朝政府間合意で、拉致被害者、日本人配偶者、北朝鮮残留日本人などすべての日本人の北朝鮮からの帰国の道が開かれた。それに先立って、私たちは昨年12月14日、「一刻も早い日本人妻の永住帰国を求める」と題する要請文を安倍晋三首相に提出した。以下は、その結論部分である。
〈最近、北朝鮮政府は「日本人妻の帰国」を容認する姿勢を日本政府に伝えてきている。そのような北朝鮮側の配慮に対し、日本側もこたえるべきだ。〉
〈日本人妻の永住帰国が実現すれば、国民の北朝鮮に対する見方が好転し、本命の拉致問題の早期解決につながると考えている。〉
 私たちの問題提起を受けて、拉致被害者の救出はもとより日本人妻および残留日本人の帰国問題についても日朝間で累次の交渉が持たれ、このたびの歴史的な日朝政府間合意に至ったと考えている。
 2012年1月、私たちは北朝鮮からの邦人の帰国が近いと予想して、移民政策研究所内に「日本人妻等定住支援センター」を設立した。支援の対象者は次のとおりである。
 ①日本人妻(日本国籍を有しない血統的日本人妻を含む)及びその子
 ②北朝鮮残留日本人(北朝鮮残留孤児を含む)
 私たちは受け入れ態勢を整えて、残留日本人、日本人配偶者、そして拉致被害者の帰国を待っている。
 心の広い日本人にお願いがある。拉致被害者のみなさんと同じように残留日本人・日本人配偶者も我々の同胞として温かく迎えていただきたい。

                       平成26年12月14日

                   一般社団法人移民政策研究所所長 坂中英徳

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