「移民政策のエキスパート」(ワシントン・ポスト)

メディア 坂中提案

2009年1月23日の「ワシントン・ポスト」の一面に「失業した移民の就職支援を推進する日本――人口減少への危機感が新しい施策を生み出した」という見出しの記事が載った。2008年9月15日のリーマン・ショックに端を発する世界同時不況が深刻化する中、日本政府が「定住外国人施策推進室」を設置して行っている外国人政策は革命的である、と世界に発信したものだ。そこに私の発言が引用されている。

〈失業した外国人が日本にとどまれるよう支援する政府の取り組みは『革命的』なものである。日本は長年、外国人の定住を拒んできた。仕事を失った外国人は母国に帰ってもらうというのが、日本政府がこれまでとってきた一般的な立場である。今回の新しい政策だけで日本が移民国家へ舵を切ったとまでは言えないが、将来日本の歴史を振り返るとき、これが移民国家への転換点だったことがわかるだろう。〉

〈今回の政府の決定は、世界中の移民希望者に対する魅力的なメッセージになるだろう。仕事を求めて日本に来た移民は、深刻な不況の時でさえも、状況に配慮した適正な処遇が受けられるからだ。〉

〈日本はようやく日本語を話せない移民を受け入れるための体制が整っていないことに気がついた。
遅きに失したのは確かだが、政府が移民の受け入れ態勢の不備を直視するようになったのは重要だ。〉

米国を代表するクオリティペーパーの一面に掲載されたので、就任早々の当時のオバマ米大統領も読まれたはずで、「日本は移民に暖かい国」との印象を持たれたのではないか。オバマ氏は移民の子であるから、日本の取り組みを評価されたに違いない。今後の日米関係にも好影響を与えるだろう。

このたびのワシントン・ポストの記事は、私の「移民開国論」を後押しするものである。私のことを「移民政策のエキスパート」と紹介し、「育成型移民政策」を世界の知識人の間に広めてくれた。

2008年のワシントン・ポスト紙は「坂中氏の1000万人の移民受け入れ提案は政治指導者たちの支持を得ていない」と述べたが、2009年のリポートでは次のように書いた。

〈世界で二番目に大きい日本経済を失墜させる深刻な人口危機を食い止める方法は、大規模な移民の受け入れしかない。そのような認識が、最近、日本の政治家や産業界のリーダーの間で広まっている。2007年夏、与党の自由民主党の約80人からなる政治家グループは、今後50年間で1000万人の移民を受け入れる必要がると提言した。また、移民を「受け入れる」というだけでなく、移民とその家族に日本語教育や職業訓練を行い、国籍を促す政策、つまり日本人を「養成」する移民政策を提言した。〉

ワシントン・ポストのこの二つの記事から、2007年から2008年にかけての1年で、日本の移民政策をめぐる状況に大きな変化があったことがわかる。

2010年2月、ワシントン・ポスト紙のリー・ホックスタッダー論説委員が、「日本の移民受け入れに対する姿勢、態度の変化」のテーマで取材を行うため来日し、私を訪ねてきた。同紙の取材を受けるのは2007年12月と2009年1月に続いてこれが三度目である。ワシントン・ポストが日本の移民政策に寄せる関心は並々ならぬものがある。

ワシントン・ポストの論説委員は、私の英文図書『Towards a Japanese-style Immigration Nation』(移民政策研究所、二〇〇九年)を読んでおり、中身の濃い議論ができた。約2時間の取材が終わって意気投合したと感じた。「人口危機が迫る日本を救う道は大胆な移民政策をとること」という考えで一致した。私が見送ったとき、彼は「Lonely Battleですね」と言って堅い握手をした。

ワシントン・ポストの一連の取材と報道を通して、私は米国政府が日本の移民開国を待望していると理解した。アメリカの代表的なクオリィーティペーパーが米国政府の意向に添う形で日本の移民政策の動向を追いかけているのだと思った。

アメリカ政府は、アジアで最も信頼する同盟国の日本が、人口危機に対して適切な手を打たず、国際社会でその存在感を急速に失っていくのは、アメリカのアジア戦略上好ましくないと考えているのではないか。いやもっとポジティブに、日本がアメリカと国家理念を共有する移民国家の仲間入りをし、日米の同盟関係が一層深化することに期待を寄せているのではないか。当時、そのように私は理解した。

その後も、ワシントン・ポスト、ニューヨークタイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、AP通信、CNNテレビなど米国の有力メディアの私に対する取材が絶えないことから判断すると、2010年の時点における私の見方は当を得たものであったと思っている。

 

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