「民族大移動」は「壮大な拉致」だった

坂中提案

実は、日本人妻やその家族たちのなかに、いわゆる「脱北者」として中国へ逃げ出し、そこから密かに日本に帰国していた人たちがいたのだ。

衝撃の事実をスクープしたのが、小泉訪朝から53日後、2002年11月9日付『読売新聞』に掲載された一連の報道だ。

一面から社会面までを大きく割いて掲載された記事で、メインのタイトルは〈「脱北」日本人妻 極秘に帰国〉。サブタイトルは〈94年ごろから、家族含め40人 外務省が渡航書〉。社会面のタイトルは〈祖国の支援なく困窮 中国に多数 救出待つ〉。サブタイトルは〈北朝鮮帰還事業 到着の瞬間「ああ、しまった」〉、私のインタビュー記事の見出しは〈受け入れ体制必要〉となっている。

実は、この記事は私の寄稿がきっかけとなったものなのである。

小泉首相訪朝の日(2002年9月17日)の夜、拉致被害者8人の死亡が伝えられたとの報道に接し、北朝鮮帰国者も拉致被害者と同じ残酷な仕打ちを受けているのではと思うと身につまされ、「北朝鮮帰国者の窮状を国民に知ってもらいたい」との一念からいっきに原稿を書き上げ、読売新聞社に送ったのが事の始まりである。その原稿が、紆余屈折を経て、インタビュー記事になり、一連の報道に発展した。

私は、北朝鮮帰国者の問題について、帰国者たちが日本に自由に往来できる道が開かれないかぎり、在日韓国・朝鮮人問題の全面的解決にはならないと位置づけていたから、機会があれば一度きちんと私の見解を発表したいと考えていた。そして、たまたま小泉首相訪朝の発表の直後、『読売』から「小泉首相訪朝後の在日朝鮮人問題」のテーマで執筆依頼があり、北朝鮮が犯した日本人拉致事件に国民の関心が高まっているこの時期こそ、その「発表の時」だと直感した。

現職の役人による「爆弾発言」であった。政府首脳が「問題だ」と一言いえば進退にかかわることになっただろう。私自身、名前と東京入国管理局長の肩書を出して発言する以上、それは覚悟のうえだった。

私は、『読売』のインタビューのなかで、次のように答えている。

〈拉致被害者8人の死亡の報に接した時、まず北朝鮮に帰った在日朝鮮人や、妻や子として出国した日本人約6800人の過酷な運命が思い浮かんだ。これらの人たちも、拉致被害者と同じ境遇にあっているのではと思うと心が痛んだ。帰還者は、「動揺階層」という下層身分に位置付けられ、差別と監視の対象とされ、飢えに苦しむ生活を余儀なくされている。強制収容所に送られ、そこで亡くなった人も多いと伝えられている。

拉致事件以上に大きな問題を抱えているのではないか。人権抑圧下と飢餓状態に置かれている帰還者の実情からすると、自由に出国できる状況になれば、多くが日本に戻ってくる可能性が高い。日本政府と在日朝鮮人社会は、帰還者の日本帰国に備え、受け入れ体制などの問題に真剣に取り組む必要がある。〉

北朝鮮と日本の間に横たわる深刻な問題は「拉致」だけではないのだ。北朝鮮でもだえ苦しんでいる「日本人」はほかにもたくさんいるのだ。このことを広く国民に知ってもらいたかった。北朝鮮帰国運動の真相を国民の前に明らかにすることは行政の責任ではないのか。いや、行政がやらなくて誰がやるのか。

こうして「北朝鮮に渡った6800人の日本人」が拉致被害者と同じ悲惨な境遇にあることを訴えたことから、この帰国者の問題が拉致の問題と同じように国民の関心を呼ぶことになった。北朝鮮帰国者の問題は、スクープした『読売』に続いて、各紙、各テレビ局が大きく取り上げ、世間に広く認知された。そして、在日コリアン社会のみならず日本社会においても、「北朝鮮帰国運動」の歴史的評価が百八十度の転換を見たのである。

1959年当時、北朝鮮帰国運動は資本主義の国から共産主義の国への「民族大移動」とたたえられた。しかし、真実は、北朝鮮が仕組んだ「壮大な拉致」であったことが明らかになったのだ。

その日から私は、発言の責任を取り、日本人妻等の救出問題に取り組んできた。その執念が実り、近年、北朝鮮政府は日本人妻の帰国に前向きの発言をするようになった。私は2012年1月、日本人妻等の日本帰国に備え、一般社団法人移民政策研究所内に「日本人妻等定住支援センター」を設立し、日本人妻の帰国を今か今かと待っている。

« »