「天職」と「運命」と「奇跡」

坂中提案

最近、私の移民政策を評価する在日アメリカ人から、「坂中さんのような人物が日本に存在するのは不思議だ。どのような人間なのか関心がある」と言われた。そんなことをいわれても困る。私が答を出せるはずがない。ただ、「日本に存在するのは不思議」とまで言われると少し気になる。人生において「天職」も「運命」も「奇跡」も存在すると信じるたちであるからだ。
以下に、坂中による自己分析を試みる。いや、そんなおおげさなものではない。下手な自画像をかく。坂中理解の一助になれば幸いである。
今、私の人生において1975年の坂中論文以来38年ぶりにゆったりした気分にひたっている。若いときに神の仕業のような「論文」を書いた重荷を下ろし、ようやく心やすらかな心境になった。これからは自由気ままに生きる。
どうしてこういう気持ちになったのか。何も欲するものはない。何も恐れるものはない。何も心配するものはない。全くの自由人になった。身を捨てる覚悟を決めた。自分の責任を果たした。移民国家の礎を築いた。そんなふうに思うようになり、安心立命の境地に達したのだろう。
自分の実力以上の仕事を成し遂げられたが、それは天の助けがあったからできたのだと思うようにしている。なぜか苦境に立ったときにはいつも天が救ってくれた。奇跡だとしかいいようのないことが起きた。
運と奇跡に頼る職業人生がまっとうなものではないことは分かっている。綱渡りのような危ないことの連続の役人生活を過ごした。無事退職できたが、それこそまさに奇跡であった。
やりたいことを思う存分やらしてもらった。私のすることを天が見ているのでまちがったことことはできないと肝に銘じ、決断し行動してきた。おかげで有言実行の生き方を貫くことができた。正論をはき、自分の正義を守ることができた。
泥沼に足を突っ込み、もがき苦闘する、あまりにしんどいことばかりだったが、密度の濃い職業生活を営むことができた。時には波乱を巻き起こし、時には万丈の気をはいた。悪戦苦闘が続く中で奇跡と遭遇する体験もした。
学生時代は平穏な人生を望んでいた。国家公務員になってこんな劇的な生き方が待っているとは夢にも思わなかった。人生は不思議なものだ。どんな未来が待ち受けているか知れない。晩年になって人口崩壊の危機に見舞われた日本を救う「移民革命の先導者」の役が回ってきた。
私は幸運の星の下に生まれたのだろう。けたはずれの強運の持ち主なのかもしれない。平成の世に生きる日本人の中で最もやりがいのある仕事を与えられた。天職として謹んで受ける。天から授かった職を全うする。。
理性的に考えると、日々の努力と決断の積み重ねで今の自分があるということなのだろう。すべて自分の責任である。自分が決めた道である。しかし、そこにもなにほどかの天運が働いたにちがいないと信じている。
以上、人生の一端を述べた。以下に、これに関連する近い将来の話をしよう。
2008年6月、私が原案づくりにかかわり、自民党外国人材交流推進議員連盟がまとめた「日本型移民政策の提言」が発表されると、反外国人団体、移民鎖国派、右翼団体らによる「売国奴」「反日」などという坂中批判がはじまった。街宣車に乗って国粋主義者がやってきた。それから5年半がたった今もそれがおさまる様子はない。
移民政策が現実味を帯びるようになると、反坂中勢力が大同団結し、反移民・排外主義の嵐が吹き荒れるおそれがある。
移民革命の火をつけた張本人だから、批判の的になるのは当たり前である。移民政策の象徴の坂中英徳ひとりに個人攻撃が集中するのもやむをえない。一切の責任は私にある。
世の中のタブーを打破しようとする者が受ける当然の報いと理解している。移民革命の先導者として万般の責任を引き受ける。移民政策の先駆者の天職に殉ずる。
移民国家への道は歴史の必然であるとの思いを胸に秘め、機が熟するのを待つ。天命が尽きるまで移民歓迎の旗を振り続ける。

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