『新版 日本型移民国家への道』 (東信堂発行)

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2014年に入り、移民国家をめぐる議論がにわかに熱を帯びてきた。2月13日の衆議院予算委員会において安倍晋三首相は古川元久委員の「移民の受け入れ」に関する質問に対し、「国民的議論を経た上で、多様な角度から検討する必要がある」旨の答弁を行った。

安倍首相が自ら移民受け入れの国民的議論を呼びかけたことの持つ意味は大きい。さっそく政府部内から大きな動きがあった。首相のおひざもとの内閣府は2月24日、2015年から年間20万人の移民を受け入れ、かつ2.07の出生率の目標を早期に達成し、もって100年後の日本が1億の人口を擁する国をめざすという未来構想を発表した。

建設業、製造業、林業、介護福祉分野など深刻な人手不足に悩む産業界から、外国人材の受け入れを求める声が上がった。内外のメディアの私への取材が急増した。5月16日、日本外国特派員協会において「日本の移民国家ビジョン」のテーマで講演した。全国紙など日本の主要メディアも移民受け入れ問題を本格的に取り上げる構えだ。移民政策について各方面で議論が沸騰する日は近いと感じる。

2004年から移民の受け入れについての議論を国民に呼びかけてきた私のまちにまった時代がやってきた。この新版は、移民国家が視界に入ったのに合わせたかのようなタイミングで刊行される。

移民国家の議論を盛り上げるうえで不可欠の文献として大いに活用してほしい。移民国家に移行した後の日本のあるべき姿を視野に入れた76本の小論文、エッセーが加わり、内容も充実し、装いも一新した「日本型移民国家への道」が、日本の移民政策を考えるときのバイブルとして末永く読み継がれることを願ってやまない。

批判が我が身に殺到するのは天が与えた試練

法務省入国管理局に勤務していた1977年に「今後の出入国管理行政のあり方について」(以下「坂中論文」と略称)という論文を発表した。その中の「在日朝鮮人の処遇」をテーマにした一篇で「在日朝鮮人が自ら進んで日本国籍を取りたいという気持ちになるような社会環境づくりに努めるべきだ」と提案した。

するとすぐに大きな反響があった。在日韓国・朝鮮人はもとより、民団や朝鮮総連などの民族団体、民族差別と闘うあまたの運動体、進歩的文化人、大学教授などから、「我々には朝鮮民主主義人民共和国という立派な祖国があるのに、帰国の道を閉ざすつもりか」「同化政策のいっそうの推進を打ち出したものだ」「文字通りの抑圧者の論理である」「冷酷な法務官僚」などという批判、抗議が殺到した。当時、活動が活発だった過激派からは、「打倒!坂中」のスロ-ガンを掲げたデモ行進の標的にされた。

批判の集中砲火を浴びてびっくり仰天したが、手に入った批判文、抗議文のたぐいは丹念に読んだ。実際、私に送られてきた「反坂中論文」のビラやパンフレットなどを含む印刷物はゆうに1000種類を超えていたのではないかと思う。

1995年春、入国管理局入国在留課長として、それまでアンタッチャブルとされてきた興行入国者問題にメスを入れた。私は陣頭指揮をとって、1995年5月から翌96年3月まで、興行入国者の「出演先」であるバー、キャバレーなどへの実態調査を全国規模で実施した。

その結果、調査した444件のうち、実に93%にのぼる412件で資格外活動等の不法行為が確認された。この調査結果を受けて、興行ビザによる入国者の規制を強化した。

それは興行入国者の大幅減となってすぐに効き目が現れた。1994年に約9万人だった興行ビザによる入国者数が、翌年には5万9000人に減り、1996年には5万5000へとさらに減ったのである。

この規制措置に対して、芸能人の招聘者であるプロダクションや、ホステスとして使っていたバーやキャバレーなどの飲食店の経営者は猛烈に反発した。

背後に暴力装置を備えた巨大な業界であるだけに、脅しによる調査妨害に始まり、損害賠償請求や罷免請求といった法的措置、私への脅迫電話、個人攻撃、はたまた坂中は一週間以内に交通事故に遭うという警告など、手をかえ品をかえ、執拗に繰り返された。

業界の意を受けた政治家まで登場し、「君はいったい何をやっているのだ。お前みたいな頑固者の役人がいるから業界が迷惑するんだ。君は転勤したほうがいい」と圧力をかけてきた。私は政治家の介入で持論を変えることはなかった。結果、東京から「所払い」に処せられた。

2005年に公務員生活を終えてフリーの身になり、現在は一般社団法人移民政策研究所の所長として移民国家の創建に挑んでいる。これは移民鎖国という日本最強のタブーとの闘いである。二度あることは三度あるということか。私の宿命なのか。

本年春に移民国家構想が政治課題にのぼると、反移民団体、排外主義者、国粋主義者、ヘイトスピーチのグループなどの各派が大同団結し、「移民1千万人の坂中英徳は売国奴」と罵倒する、坂中への集中攻撃が勃発した。移民革命の先導役を公言している以上、彼らの敵役を務めなければならない。

何回も修羅場をくぐった経験から多くのことを学んだ。脅迫や罵倒は正論を吐いた人間への感情的反発と冷静に受け止める。批判が我が身に殺到するのは天が与えた試練と受け入れ、袋だたきがおさまるまで耐える。坂中攻撃が激しさを増せば、自分は正道を歩んでいるのだと自ら慰めて精神の安定を図る。

東京五輪の前に移民国家制度の確立を

国家公務員を退職した2005年から今日まで身命をなげうって移民国家の理論体系の構築につとめてきた。私は健康に恵まれて73までの十分の命をいただいたのに、自分の非力を棚に上げて未練がましいことをいうのはどうかと思うが、移民国家の礎を築くのに必要なあと2年の命がほしい。2020年の東京五輪までに移民法制の整備など移民国家制度の基礎を確立したい。

東京オリンピックが日本を元気な国によみがえらせるラストチャンスであると覚悟を決めている。だが、いくら精いっぱい努力しても思い通りの成果が得られないのが世の常である。仮に私の力が及ばず、予定通り移民開国を実現できなかった場合の私の責任は万死に値する。それが国民にもたらす精神的・物質的損失は計り知れないものがある。

その場合、この年になると腹を切って国民にわびる気力は残っていないので、大言壮語の坂中英徳とののしられ、生き恥をさらすしかあるまい。これまでも一部の国民から「坂中英徳は実現できないことばかり言う」と冷ややかな目で見られていたので、それが自分の運命だと思えば気がおさまる。しかし、生きる目標がなくなった老兵は再起不能の精神状態に追い込まれるだろう。ボランティア活動家に定年はないが、気力が失せたボランティアは無用の長物と化すから引退を余儀なくされるだろう。

老婆心から遺言を一つ言わせてもらえば、日本型移民国家の詳細について記述した図書を多数残したので、いずれ捲土重来を期する政治家が現れ、移民国家が成立するであろう。日本国が再起不能の重体におちいる前の移民開国を希望する。

話題を変える。近ごろ喜ばしいことがあった。最近の移民政策研究所のウェブサイトへの一日当たりの平均アクセス数が5000件に達した。多い日は1万件を超える。これは坂中移民政策論に共鳴する若者が着実に増えていることの何よりの証明だ。この驚異的な数字は若い人たちの移民政策に寄せる期待の大きさを示すものだ。今後、若い世代の移民政策を支持する声はインターネットの世界で急激に高まるであろう。それは日本の新しい未来をつくる原動力になるであろう。

2015年の夏に読売新聞が行った「人口減社会」に関する全国世論調査によると、「移民の受け入れに賛成が38%、特に20歳代では移民賛成が50%」に達した。

それまでの10年間、移民国家構想が国民から一顧もされなかった私は、この調査結果に驚いた。わけても将来の日本を背負う20代の半数が移民の受け入れに賛成という世論が形成されていることに我が意を得たとの思いがこみあげてきた。そのとき、遅かれ早かれ若い世代が決起し、世界に輝く移民国家を建設してくれると確信した。

13年前のオール移民反対から今日の移民賛成の若者の飛躍的増加へと、移民政策に関する世論の潮目が変わった。移民鎖国の呪縛がとけた日本丸は順風に帆を揚げて航海に就いた。以下は、私が思い描くシナリオである。

〈東京オリンピックまでの2年以内に、若い世代の多数が移民賛成の立場を明らかにし、若者の声を真摯に受け止めて内閣総理大臣が移民立国を決断し、移民立法に詳しい移民政策研究所所長が職責を果たせば、新元号の下、東京五輪の開催の日に合わせて移民国家ニッポンが元気なうぶ声をあげる。万全の移民国家体制を整えるためには、移民法の制定や入管法の改正など移民政策関連法案の2019年度中の国会成立が不可欠である。〉

反骨の官僚が革命家になった日

洋の東西を問わず、国家存亡の危機の時代には、将来の国民から国を救うよう指名されたかのように、革命家が現れるものである。言うまでもなく、今日の日本が直面する最重要課題は、年少人口が激減する人口崩壊の危機をいかに克服するかである。政府が人口崩壊を止める根本的な政策を立て、それを直ちに実行に移さなければ、社会、経済、財政、国民生活の全面崩壊は避けられない。

「人口崩壊を止める根本的政策」として何が考えられるのか。国家公務員を辞した2005年から今日まで、移民政策研究所の所長を務める私は、国民と国が一丸となって移民鎖国体制を打破し、移民国家体制を確立しない限り、人口崩壊=日本崩壊は止められないと主張している。しかし、私の提案に耳を傾ける政治家はいない。移民問題について真剣に考えている政治家もいない。自由にものが言える大学教授もジャーナリストも移民政策の推進で論陣を張る勇気はない。

移民政策に展望が開けない四面楚歌の状況が続く中、前途に光明を見いだす一つの出来事があった。2012年10月21日の『ジャパンタイムズ』に「移民が日本を救う」というタイトルの記事が掲載されたのだ。この記事を書いた在日米国人のマイケル・ホフマン氏は坂中英徳を「移民革命の先導者」と命名した。

私はこのジャパンタイムズの記事から難関を突破する元気をもらった。また、これで「移民が日本を救う」というアイディアが国の内外で認知されると思った。役人時代の私はミスター入管で通った体制派の人間であったが、これからは革命家という日本の精神風土にはなじまない名前を背負って生きていくしかないと覚悟した。

国家公務員としてのキャリアを積んだ私がなぜ移民革命の先導者と呼ばれる危険人物になったのか。そのとき私は、時代の要請と坂中英徳の実績が合致して移民政策研究所長が移民国家を創建する立役者に推されたのだと理解した。

2012年10月21日は、「坂中英徳が革命家になった日」として忘れられない日になった。

 

北朝鮮残留日本人と日本人配偶者の帰国の道を開いた

2014年5月29日の歴史的な日朝政府間合意を受けて、北朝鮮にいる残留日本人・日本人配偶者の帰国問題に関し、共同通信の記者の取材を受けた。以下は、そのときの一問一答である。

問 北朝鮮政府は2014年5月29日、「日本人の遺骨や墓地、残留日本人、日本人配偶者、拉致被害者、行方不明者を含む全ての日本人に対する包括的調査を全面的に同時並行して行う」と発表した。この日朝協議の合意で調査対象者が広がった。この北朝鮮の動きをどう見るか?
答 2012年11月のモンゴルのウランバートルでの日朝協議における合意よりも、今回は「行方不明者」が加わるなど調査対象者がかなり広がった。特に、調査の結果、日本人であると判明した場合の「帰国」が明記されたことは大きな意義がある。

問 北朝鮮残留日本人をめぐる日本政府のこれまでの対応の問題点?
答 日本への帰国を待ち望んでいた北朝鮮残留日本人を見殺しにした日本政府の責任は重大である。せめての罪滅ぼしとして、北朝鮮に生存するすべての日本人を救出しなければならない。

問 なぜ、在北朝鮮日本人の帰国は、1956年に36人が帰ってきた以外に実現することがなかったのか?
答 日本政府が日本人の命を守るという国の第一の使命を忘却してきたからだ。北朝鮮からの引き揚げがかなわなかった日本人の救出に冷淡な日本国民の薄情さに怒りを覚える。歴代の内閣が粘り強く北朝鮮に日本人の帰国を要求していたならば多数の日本人を無念の死に追いやることはなかった。多くの日本人が生きて日本の土を踏むことができたはずだ。これは戦後の日本が犯した最大の過ちの一つと言わなければならない。

問 今回、北朝鮮政府はなぜ坂中さんが訴えてきたことに乗ってきたのか?
答 正確なところは分からないが、1975年の坂中論文以来、在日朝鮮人の法的地位問題、北朝鮮に渡った日本人妻の帰国問題と取り組んできた唯一の専門家であることを北朝鮮政府が評価したのではないか。私が2009年から日本人妻の帰国、北朝鮮残留邦人の帰国を北朝鮮に求めると、北朝鮮政府からすぐに前向きの反応があった。特に近年は、北朝鮮残留日本人、日本人妻、拉致被害者の一体解決を主張してきたが、私のアイディアに北朝鮮政府が乗り、最終的に日本政府がそれに応じたということである。

問 在北朝鮮日本人の帰国支援に一人で取り組んでこられたが、具体的に何をしたのか?
答 たとえば、北朝鮮からの日本人の帰国が近いと予想し、2012年1月、移民政策研究所内に「日本人妻等定住支援センター」を設立した。支援の対象者は「日本人妻」と「北朝鮮残留日本人」である。日本人妻および北朝鮮残留日本人が帰国をはたした暁には、祖国で天寿を全うしていただくため、生活相談やカウンセリング、日本語教育、家族との再会に向けた支援などを行う。

問 現在、北朝鮮からどのくらいの日本人が日本に帰国し、どのくらいの日本人がまだ北朝鮮に残っているのか?
答 日本人妻(6人)や日本人妻の子を中心に数十人の日本人が日本に帰ってきている。北朝鮮で生活している日本人の数は不明である。生きている日本人の多くは70歳以上の高齢者だと推察する。
なお、1959年から84年にかけて北朝鮮への帰還事業で在日朝鮮人の夫と海を渡った日本人妻(約1800人)おびその子(約5000人)は、日本国籍保有者に限っても、約6800人にのぼる。それ以外に、北朝鮮への出国に際し、日本国籍を離脱した血統的日本人が相当数いると思われる。これらの人たちも救出しなければならない。

問 今後、国は何をなすべきか。国民に何を望むか?
答 少なくとも数千人の日本人が帰ってくると見込まれるから、国の責任で受け入れ態勢に万全を期する必要がある。北朝鮮から帰ってくる同胞にどのような態度で臨むかは、日本人の品性が問われる問題である。世界の人々も注目している。暖かい心で迎えてほしい。

 

 

The Economistの取材

6月11日、The Economistのサラ・バーク東京支局長の取材を受けた。2016年8月以来の二度目の取材である。同支局長は日本の移民政策の展開に対する関心が深い。

日本の移民政策をめぐる最近の動きなどについて説明し、日本が移民国家へ向かう確かな胎動を感じると述べた。

サラ・バーク氏がどのような記事を書くのか楽しみである。

 

改元と移民開国

英国、フランス、ドイツが移民を受け入れる余力を失いつつあるとともに、米国がメキシコとの国境に壁を築く状況は、日本が移民政策で世界をリードするまたとない機会である。1789年のフランス革命以後、世界に君臨してきた西洋文明の自由・平等・博愛の精神にかげりが見られる中、私たちは日本人のもてなしの心で異国の民を迎え入れ、世界の移民国家のモデル国として新世界文明の創造に貢献しようではないか。移民問題で西洋諸国の権威が地に落ちた状況を、日本が新進の移民国家として反転攻勢に転ずるチャンスととらえ、移民国家日本の存在感を世界の人々に示そうではないか。

国家公務員を辞した2005年、「人口崩壊に伴う国家非常事態を画期的な移民政策で乗り切る」という国家目標を立て、私は日本オリジナルの移民国家理論の構築を志した。実務家が中心の欧米の移民政策の専門家とは目的意識も発想もスケールも異なる。移民政策にかける情熱では大きな違いがある。私は日本の奇跡の復活をかけて決死の覚悟で事に臨んだ。そして、それから13年の月日が経った今日、移民政策理論の深奥をきわめた人類共同体思想を世界の知識人に披露するところまできた。

世界に類のない高邁な移民政策を提唱しているだけでない。日本の国家目標として世界初の人類共同体社会の樹立を提案している。私たち日本人は、人種・民族・宗教の異なる人々が人類同胞として共に生きる共同体社会の創建をめざす。100年の歳月をかけて国の形を人類共同体国家につくりかえる壮大無比の計画である。

世界中の国々で人類共同体国家が形成される大望を抱く私の夢が尽きることはない。日本の精神文化の粋を集めた移民革命思想が世界の人々の心に浸透し、地球規模の人類共同体社会と世界平和体制が築かれる未来を見すえている。またそれは、日本の移民政策が世界のモデルとなって世界の移民政策の根本的変革を迫るものである。すなわち、欧米諸国で広がる移民排斥運動など人道主義に著しく反する現代世界のあり方を根底から問うものだ。

日本が独創的な移民国家ビジョンで世界の頂点をめざして歴史的な第一歩を踏み出せば、日本発の移民国家の理念と根本規範は世界各国の模範になるだろう。わけても国民の間に人種差別の感情と排他的な考えが厳然と存在する既存の移民国家の移民政策に深刻な影響が及ぶだろう。

2019年5月1日から元号が変わる。改元の幕開きによって社会の空気も一新されるであろう。人口激減の袋小路から抜け出せないでいる国民は明るい展望が開ける社会を待望するにちがいない。

新しい時代の鼓動を感じる移民政策研究所長から内閣総理大臣へのたってのお願いがある。国民の切なる願いにこたえるため、新時代を象徴する国家目標を「世界で最も移民に開かれた国」としていただきたい。政府が人材開国を行って世界から多彩な人材を招き、国民が人類同胞として移民を温かく迎えるのである。人口ピラミッドがひっくり返る日本の未来を想像すると絶望的な気持ちに襲われる私は、移民国家日本の生誕と躍動に一縷の望みをかける。

 

人類共同体ドクトリンの世界展開

新しい世界秩序の形成をめざす稀代の革命家は、日本から世界に飛び出し、人類社会の未来を切り開く夢を追い求めている。今日の世界で支配的になりつつある自国の利益第一主義に代わる理念として、人類社会全体の利益を優先する人類共同体のアイディアを世界の人々に提案している。人類共同体ドクトリンは22世紀の移民時代に生きる人類の知的共有財産に発展するであろう。

究極の目標は、日本人が主導して人類共同体思想を世界の普遍的理念にまで高めること、そして世界の人々を永遠の世界平和に導くことである。これは言葉の真の意味における世界平和哲学だ。

だが、世界に類のない崇高な平和思想を語る日本人に、それを実現する強い意志と実行力がないと、それは絵に描いた餅で終わる。日本人ができもしない「夢物語」を語ったと世界中の物笑いの種になる。それは重々分かっているが、移民政策の立案が専門の学究の徒にいったい何ができるというのだろうか。

世界のことを心配する前に私が第一にやるべきことは、日本人の平和の願いがこもった移民国家へ日本を導くことだ。その際、書斎にこもって脳みそを絞っているだけで実行力に欠ける私にできることは警世の文章を死に物狂いで書き続け、ペンの力で日本国民と世界の知識人の心を動かすことだ。

さいわい、ワシントン・ポスト紙、エコノミスト誌など世界を代表するメディアが、日本人の和の心がいっぱいつまった移民国家構想を評価している。まさにいま機が熟そうとしている。日本が移民国家の新顔として世界の舞台に躍り出れば、それが起爆剤になって世界の移民政策も変わるはずだ。

申すまでもなく、永遠の世界平和を実現することは、極東の島国に本拠を置く移民政策研究所の所長の手に負えるものではない。微力の身であることは承知しているが、人類共同体の灯りを永遠にともし続ける。22世紀のある日突然、地球規模の人類共同体社会の創成を目標に掲げ、人種・民族・宗教・国籍の異なる人々が一斉に立ち上がる一分一厘の可能性にかける。私は言霊と思想の持つ魔力を信じる人間である。

人類史的課題に挑戦している移民政策研究所長は遅かれ早かれ身のほどを知らない夢を追い続けることの限界を悟るであろう。そして、世界の移民政策を根本的に変える人類共同体社会の実現を訴えている最中に人生の幕を閉じることになろう。たとえそうなっても、人類社会の未来に思いをはせ、力尽き、挫折する人生を誇りに思う。